想像以上に奥深い“ギミック・レスラー”の裏事情…戦後最大の政治疑獄をネタにしたレスラー「ブラック・ロッキード」の誕生秘話 「国際プレスによる東スポへの意趣返しだった」

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ロッキード事件とプロレス界の意外な関係

「ロッキード事件」は、戦後最大の汚職事件である。アメリカの航空機メーカー「ロッキード社」が飛行機を売り込むために、日本の政治家などに巨額の裏金を渡していたとされ、関与が疑われた元首相の田中角栄は、1976年7月、逮捕された。

 そもそもこの疑惑が発覚したのは、5ヵ月前のアメリカでの公聴会からだったが、そこで、ある日本人の名前が出た。この人物が、ロッキード社の秘密代理人として、同社の売り込みや、政治家に裏金を渡すのに暗躍したというのである。その人物こそ、児玉誉士夫であった。右翼の活動家として知られていたが、この疑惑が公表されるや日本中が大騒ぎとなり、児玉は同年3月には在宅起訴されている。

 この児玉がオーナーを務める新聞社こそ、「東京スポーツ」だったのだ。そして「ブラック・ロッキード」の登場は、同年の7月だった。つまり、オーナーが起訴されている時期に、同事件を思い起こさせるようなレスラー(しかも“ブラック”と冠されて)が登場するのは、東スポ的には絶対にマズイことだったのである。ついでながら、当時の国際プロレスには田中忠治というレスラーがおり、たとえ他紙誌でも、〈ロッキード、田中をKO〉〈田中とロッキード、痛み分け〉などと報じられるのも、避けたいところだったろう。

 しかし、疑問もある。プロレス報道においては権威と言っていい東京スポーツを怒らせるようなレスラーを、何故、国際プロレスが登場させたのか?

 国際プロレスは1967年に旗揚げした。5年後の72年3月には、アントニオ猪木率いる新日本プロレスが、そして同10月にはジャイアント馬場が束ねる全日本プロレスが創設される。以降、日本の男子プロレス界は、81年に国際プロレスが解散するまで、この3団体体制が続いた。

 例えば1979年8月26日、東京スポーツの創立20周年を記念しておこなわれた「プロレス夢のオールスター戦」で、この3団体が一堂に会している(日本武道館)。ところで、この「夢のオールスター戦」について、当時の仕掛人とされた、東京スポーツ運動部長の桜井康雄に、筆者が後年取材をかけたときだ。

「先ず、馬場と猪木を話し合わせるのが大変でね。この年の3月(8日)に、六本木にあった『梅江飯店』という中華料理屋で引き合わせたんです……」(桜井)

 その後も、馬場と猪木をどう説き伏せたかの苦労譚が延々続き、一息ついたところで、筆者は聞いた。

「ところで、国際プロレスについては?」

「国プロは……こう言っちゃなんだけど、別にどうにでもなるでしょ?(笑)」

 団体としては最も老舗ながら、完全に、新日本、全日本の下にランク付けされていたのである。

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