いまや世界的ブーム“シティポップのミュージシャン”は「70年代に“お前は日本では売れない”と言われた人たち」…“主役”たちが語るシティポップの真実

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第81回は今、世界でブームをとなっている1980年代の日本の「シティポップ」の主役たち。時代と海を越えてかつての名曲が注目される理由は何か、アーティストの肉声で迫ります。

80年代の日本の楽曲が世界で

 降って湧いたような……という表現が適切かと思う。

 1980年代に日本で流行った都会的でオシャレなサウンド「シティポップ」が今、世界でブームになっている。人気を集めている楽曲は、誰もが知っている有名どころばかりだが、筆者が実際に話を聞いたアーティストを中心に名前をあげると大瀧詠一、杉山清貴&オメガトライブ、林哲司、杉真理、オフコースのオリジナルメンバー・鈴木康博(順不同)……。

 YouTubeやSNSなどで世界が繋がっている時代である。40年以上も前の楽曲が、時を超え、海を越えて注目される……ブームの詳細は分からないが、今回は彼らが影響を受けた曲や事柄などを紹介したい。

 シティポップコンサートなどで、ナビゲーター的な役割を果たすことが多い林哲司(77)には「秘蔵写真」というテーマでインタビューしたのだが、シティポップの定義について聞くと、

〈シティポップについては要素は一つじゃなくて、いろいろなものが絡まっていると思います。

 ただ、海外の人から見ると、一言、80年代の日本の都会的な音楽というくくりです。(今の)シティポップは海外から起こったブームなので、それがわかりやすいかもしれません〉

 オフコースに13年間在籍してソロになった鈴木康博(78)は、こう語った。

〈僕の曲がシティポップに入るとは思っていなかったのですが、70年代の終わりから80年代に作った曲が認められたということなのかな〉

 林と同じような考え……というか、一言で言い表すのは難しいようだ。

 もっとも、自身の音楽活動や、そもそもの音楽に懸ける想いはアーティストによって異なる。鈴木の場合はビートルズとの出会いだった。曲は「I Should Have Known Better」(6年)。高校の同級生だった小田和正(78)に学校の帰り道、「この曲、ハモッてみない?」と言われ、一緒に歌ったことでミュージシャン人生が決まった。2人で歌ってみたらすごくよかったそうだ。

大瀧詠一の思い

「1ダースの言い訳」(稲垣潤一)、「僕の腕の中で」(杉山清貴)、「SEPTEMBER」(竹内まりや)などの楽曲提供で知られる林の曲の場合、ライトでまさにシティ感覚、今風にいえば「万人に刺さる」という表現が合っている。大きな影響を受けたのはバート・バカラック。「世界は愛を求めている」(ジャッキー・デシャノン)や「小さな願い」(ディオンヌ・ワーウィック)などで知られ、80年代に入っても「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(クリストファー・クロス)を世界でヒットさせた音楽家だ。

「秘蔵写真」というインタビューのテーマに合わせ、記事ではバカラックとのツーショットも掲載した。その林にとって、バカラックとは……。

〈日本でバカラックの名を不動にしたのは「明日に向って撃て!」(69年)の主題歌「雨にぬれても」ですかね。映画が公開される前にサウンドトラック盤が先にリリースされ、聴いていました。曲は雨が降るシーンで流れるものと思っていたので、映画を見てポール・ニューマンとキャサリン・ロスが自転車に乗って青空の下を走るシーンで使われていたことに驚きました。「明日に向って撃て!」はニューシネマの代表作といわれるだけあって、音楽の使い方がそれまでの概念を裏切る斬新さがありました〉

 そして、バカラックから学んだことをこんな風に語った。

〈一番重要なことは……そこに立っているのがオリジナルのディオンヌ・ワーウィックでなくても、彼のメロディーを歌うボーカリストの表現力が素晴らしければ、満足できるということです。つまり彼のステージの主体性は歌手の人気だけではなく作品にあるということ〉   

 極論すれば、優れたシティポップは誰が歌っても、表現力があれば心地よい音楽になるということだろうか。

 シティポップの代表的アーティストといえば、代表的かつ名曲ともいえる「A LONG VACATION」を歌った大瀧詠一(2013年没、享年65)。その影響を受けた人は多く、シンガー・ソングライターの杉真理(72)もその一人。大瀧とのツーショットを掲載した「秘蔵写真」インタビューではこう分析した。

〈今、シティポップの人と呼ばれているのは大瀧さんも同じだけど、70年代には「おまえは日本では売れない」と言われた人たち。僕もそうだけど、多分、みんなも自分も売れるなんて思っていなかったんじゃないかな。だから、逆に売れようとしたりするエネルギーをすべて音楽につぎ込めた。そういう意味でも純粋なエネルギーが詰まっている。洋楽を目指していたけど、日本でやっているうちに独特のガラパゴス的進化を遂げ、結果的に別物になって時代に受け入れられている。シティポップはそんな感じじゃないかな〉

 ある意味、杉の言葉は大瀧の考えを代弁しているものだろう。時代が今、大瀧に追いついてきたのだ。

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