20年ぶり「オランダご訪問」雅子さまとオランダ王室を結ぶ絆…恩人「ベアトリクス元女王」と「マキシマ王妃」に通じる“厳しいバッシング”を乗り越えた過去
女王と王妃の助け舟
そもそも06年8月の雅子さまのオランダご静養は「心無いバッシング」(同元幹部)にさらされていた雅子さまにオランダ王室が出した“助け舟”だった。マキシマ王妃は皇太子妃だった雅子さまを招いた当時、同じ皇太子妃(王太子妃)の立場にあった。同王妃はアルゼンチンの出身。スペインのセビリアで開かれた友人主催のパーティーでオランダのウィレム=アレクサンダー国王(当時は王太子)と出会い、その後、米ニューヨークで再会。交際をスタートさせ、2001年1月に婚約した。
だがマキシマ王妃の父ホルヘ氏は、独裁者と言われたアルゼンチンのビデラ大統領の下で農林大臣を務め、ビデラ大統領が在任中、人権活動家やその家族らを何千人も拷問し、虐殺したとして退任後に起訴され、終身刑を言い渡されていた。そのため政権上層部にいたホルヘ氏も残虐行為に加担していた疑惑が持たれ、結婚に猛反対する声が一時期、噴出した。
「マキシマさんも国民の強い批判にさらされた苦い経験を持っていたからこそ、雅子さまに助け舟を出したのです」(同元幹部)
実はマキシマ王妃の義母で、雅子さまをオランダに招いた張本人のベアトリクス女王(当時)も、国民からの厳しいバッシングを経験していた。ベアトリクス前女王の夫であるクラウス・フォン・アムスベルク氏は、かつてドイツのヒトラー青少年団やドイツ国防軍に所属した経歴があった。ナチス・ドイツの占領下で苦しんだオランダの国民にとって、次期女王のプリンセスと、元ドイツ軍人の結婚話は大きなショックであり、ベアトリクス前女王の結婚式には激しい抗議デモや反対運動が巻き起こった経緯があったのだ。
クラウス氏は結婚後、公務に尽力して人々の信頼を勝ち取り、最終的には国民から愛される存在となったことから「ベアトリクス前女王には『日本のプリンセスも必ず苦難を乗り越えられる』との確信があったようでした」と宮内庁関係者は回想する。
雅子さまの回復に向けたこの20年は、こうした事実を踏まえれば、絵本に出てくるような美しい“古城”の姿に象徴される、オランダと日本のプリンセスたちの温かい友情の歴史とも言えそうだ。
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