【50年の予備校盛衰史】“カリスマ講師”の象徴・代ゼミが脱落し東進は躍進 「三大予備校」体制はいかにして築かれたか
わが国で最もお金が動く教育市場が、一都三県の大学受験業界といっていいだろう。高校受験塾と中学受験塾について論じた【一都三県の塾の勢力争い――高校受験塾は各都県で地元塾が激闘、中学受験塾は「四強」の構図に変化あり】に続く本稿では、大学受験予備校の事情を概観するために、誰もが知る大手予備校の“盛衰史”をお届けする。焦点は、河合塾、駿台に続く“もう一枠”の変遷だ。(西田浩史/教育ジャーナリスト、追手門学院大学客員教授、学習塾業界誌『ルートマップマガジン』編集長)
全国各地の中心都市には必ずと言っていいほど校舎を構えている大学受験予備校が、河合塾と駿台予備学校だ。全国の中心地である一都三県では、地方における大きな存在感以上に、この「二大予備校」が幅を利かせているというイメージをもつ向きも少なくなかろう。
しかし意外にも、南関東における両校は地方ほどの存在感を放っているわけではない。地方ではトップ大学を目指す層の受け皿として、各エリアの中心地に校舎を置く二大予備校がうまく地元塾と棲み分けを図っている一方、一都三県における大学受験生のボリュームゾーンは、早慶・MARCHなどの「私立上位校」志望者だ。よって、国立トップ大学を志望する層が二大予備校に行き、それ以外の層が向かう塾は多様化しているというのが実態といえる。
その前提を把握していただいた上で、時を50年ほどさかのぼってみたい。そこに、今や「三大予備校」から脱落してしまった代々木ゼミナールの低迷の背景事情が見てとれるからだ。
「カリスマ講師」時代を牽引した代々木ゼミナール
1970年代前後の予備校の象徴といえば、紛れもなく代ゼミだった。予備校の名よりも講師の肩書や特徴を前面に押し出す手法をとり、その人気を高めていったのだ。
さる現役予備校講師によれば、
「当時の代ゼミは、有名な大学教授や名門高校の先生が教壇に立つこともあり、講師一人ひとりがまさにスターでした。ブランド品に身を固め、派手な装いで注目を集める講師もいましたし、人気講師のもとには、予備校のテキストにサインを求める長蛇の列ができていました。校舎も広告もきらびやかで、代ゼミに通うこと自体がステータスのようになっていましたね。『受験は人生を左右する』と言われ、『4当5落』という言葉が出始めるほど、日本全体が受験熱を帯びていた時代です。その牽引役がまさに、代ゼミだったわけです」
こうした代ゼミの経営方針が、いわゆる「カリスマ講師」を生み出すきっかけとなった。その象徴が、「金ピカ先生」こと英語科の佐藤忠志氏(2019年逝去)だろう。派手な服装とキャラクターで予備校講師の“タレント化”を象徴する存在だった。現代文の出口汪氏が「論理」というキーワードで一世を風靡したのも、1986年に代ゼミに移籍してからだ。“元暴走族”古文講師の吉野敬介氏、『ポレポレ英文読解プロセス50』の西きょうじ氏、30年以上同校の世界史トップ講師の座に君臨する佐藤幸夫氏、その独特の風貌と語り口が人気の数学講師・荻野暢也氏など、代ゼミが生んだ名物講師は、名を出し始めたら枚挙にいとまがない。
「三大予備校」時代とその崩壊
その間、河合塾や駿台予備学校も、それぞれ独自の発展を遂げていた。駿台は1918年に東京高等受験講習会として始まり、かなり古い東京系の予備校といえる。河合塾は1933年に名古屋で河合英学塾として創業、77年に東京・駒場校を開いて全国展開へと舵を切った。代ゼミは1957年開校で三者の中では後発にあたるが、既述の通り自慢の講師陣を売りに急速にシェアを広げていった形だ。
当時、予備校関係者の間では「机の河合、生徒の駿台」とも言われていた。河合塾は模試や教材、進路指導などに注力し、幅広い層の受験を支える仕組みづくりに強みを持っていた一方、駿台は難関大学対策を重視し、学力上位層の受験生を集めることでブランドを築いていった。ライバルとして比較されることの多い両者だが、実際には得意分野が異なり、このときから明確な棲み分けが存在していたのである。
そしてもちろん両校からも、数々の有名講師が輩出されている。英語科講師の巨匠・伊藤和夫氏、『ドラゴン桜』のモデルとしても知られる英語科の竹岡広信氏など、特に駿台には多い。組織的な指導力を売りにしていた河合塾は、そのビジネスモデル上、「カリスマ講師」が生まれやすい土壌ではなかったのだが、今や時の人となっている現代文の林修氏(現・東進ハイスクール)ほか、河合塾出身の実力講師は多い。
こうして80年代頃からは三大予備校体制が確立されていたとされる。とはいえ三者がバチバチにパイを食い合うというよりは、私立文系に強い代ゼミ、難関大や理系対策に強い駿台、バランス型の河合塾といった具合で、大まかな色分けが当時からあった。
この構図が、代ゼミ衰退の根本原因だとする見方がある。少子化に伴い、真っ先に予備校通学者が減ったのは、私立文系の志望者層だ。河合塾や駿台が最も力を入れる国立大学対策や理系科目に対し、私立文系においては、早慶をはじめとした上位大志望者以外は、「予備校に通う必要のある大学」がそう多くないのだ。こうした事情を抱えながらも、メインターゲットを広げることがなかなかできなかったために、規模の経営が立ち行かなくなってきたというわけだ。
〈その後に代ゼミが迎えた大きな転機、河合塾や駿台がとった戦略、台頭する東進ハイスクール、今後の予備校業界の展望などについて、新潮QUEのオリジナル特集【全国10エリア「塾・予備校」最新勢力マップ】で、有名講師の実名も挙げながら詳述している〉


