裁判官が「アメマとはどういう意味ですか」…厳粛な法廷を“爆笑の舞台”に変えた「関西が誇るレジェンド芸人」の規格外に優しい素顔

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ナイトマラソンを

 インタビューしたのは、コロナの真っ只中の21年5月だった。寛平ちゃん、コロナなんか何も気にしていなかった。

 新曲「8、9、10の歌」のPRを兼ねてのインタビューだったが、「8、9、10」とは何? と思ったら「5、6、7(コロナ)の上を行く」の意味で、世の中、コロナで暗くなっているけど、くよくよしててもしゃーないがなといったところか。「この曲、ヒットせんかな、紅白狙ってますから」とあの人懐こい笑顔で語ってくれたが、まさに規格外である。

 寛平といえば、マラソンランナーが代名詞。マラソンとヨットで世界一周したアースマラソンでも知られる。この時はこうも語った。

〈世界一過酷という、ギリシャのスパルタスロンでは真夜中の真っ暗闇の中で、自分と明かりだけを頼りに戦った。それが楽しいんですわ〉

 その時も語っていたが、ナイトマラソンを広めようとしていた。真っ暗な山の中を、懐中電灯を持って熊やイノシシが出そうなところを走る。夕方4時にスタートして夜中の9時にゴール。70歳を超えてさらに新たなことにチャレンジする。究極のチャレンジャーでもある。

 そんな寛平だけに、周囲からはさぞ変わり者扱いされているかと思ったら、後輩にはことのほか優しく、面倒見がよくて慕われている。

 99年に吉本新喜劇の座長になった辻本茂雄(61)は、二度も寛平に救われた芸人だ。最初は顎ネタを封印して仕事がなくなった時。漫才コンビを組んでいた時はボケ役だったのだが、寛平が座長として企画した広島横断ツアーで回った際、「めっちゃツッコミ面白いぞ」と評価してくれ、あっちこっちで広めてくれた。

 そして「超!よしもと新喜劇」(TBS系)で東京に進出したが、今度は「大阪のニオイがきつすぎる」といわれて干された。そんな時に声をかけてくれたのも寛平で、「ほんなら2人でコントしょーか」と誘われ、全国を回った。寛平のボケはもちろん規格外だが、「辻本相手だと安心してボケられる」と評価してくれた。「すっごくうれしかった」と辻本は感激した。

〈寛平さんってとにかくやさしい。ボクだけにじゃなくて。今も売れない芸人使ってコントしたり、劇団立ち上げたりしてますから〉

 辻本は「カンペーイズム」と言っている。

「俺らが拾う」

 芸人だけではない。グラドルの熊田曜子(44)は寛平、次長課長らとかつて大阪の番組に出演していた。熊田は話の流れについていけず、一言もしゃべることができなくて反省する日々。そんな時に南紀白浜空港で寛平とばったり会って、「ラーメンを食べよう」と誘われ、悩みを聞いてもらった。

「一言もしゃべれないこともあって、すごく悔しい」と言う熊田に対して寛平は、「なんでもいいから思いついたことを言ったらいいよ。その後は俺らが拾うから」とアドバイスしてくれた。

 それからは自由に発言するようにして、次長課長から「そんなことも知らんのか」とツッコまれた時に、「これが俺らが拾う」ということかとわかったそうだ。熊田はこう語っている。

〈おかげさまで今はテレビの仕事が楽しくて仕方ありません。それもこれも、あの寛平さんの一言があったから。感謝しても感謝しきれません〉

 規格外とやさしさ。この二つに尽きるということだろう。

峯田淳/コラムニスト
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デイリー新潮編集部

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