本書を読まずして『巨人の星』を語るなかれ! 俗説を覆す決定版評伝『劇画の巨星 川崎のぼる伝』が登場――執筆者、編集者が語る熱い思いとは

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 1960年代後半に「週刊少年マガジン」(講談社)は発行部数100万部を突破、1970年には150万部に達している。

 そのけん引役となった2大連載といえば、『あしたのジョー』(ちばてつや画)と、『巨人の星』(川崎のぼる画)である。ともに梶原一騎の原作で(『あしたのジョー』は高森朝雄名義)、当時の少年たちを熱狂させた。

 この2大連載に対し、世間には、長年、こんな見方が蔓延していた――「『あしたのジョー』は、ちばてつやが梶原一騎の原作を咀嚼し、ちばワールドに変容させた。だが『巨人の星』は、川崎のぼるが原作をそのまま描いているので、独自の味わいが少ない」。

 とんでもない誤解である。川崎のぼるファンは、長年、この大誤解に苦しんできた。だが、ついにその鬱憤を晴らしてくれる名著が登場した。『劇画の巨星 川崎のぼる伝』(読売新聞西部本社文化部/ホーム社発行、集英社発売)である。

 どのような経緯で本書は生まれたのか、そして“誤解”は、どのように解かれているのか。執筆者や担当編集者の話をうかがいながら、内容を紹介しよう。(全2回の第1回)

6000字の新聞連載が18万字の評伝に

「読売新聞の九州・山口版には《道あり》という連載があります。九州に縁のある著名人に取材してその歩みを振り返ってもらう企画です。ここで2022年6月から、熊本県在住の川崎のぼるさんを8回連続で、取りあげました」

 と語るのは、福岡市にある読売新聞西部本社・文化部長の池田和正さん。川崎のぼるさんは本来、関西系の方だが、現在は夫人の妹さんが住んでいた熊本県の菊陽町在住である。

「川崎さんは“人付き合いが苦手”と公言しておられ、ご自身の半生やお仕事について語ることは、あまりありません。展覧会の図録にコメントを載せる程度でした。しかし、あれだけのお仕事をされてきた方ですから、ぜひお話をうかがってみたかったのです」(池田文化部長)

 取材を担当し、川崎さんを口説き落としたのは井上裕介記者だ。その井上記者の話。

「お電話して、とりあえずお会いしたいと、質問事項を事前にファクスして、アトリエにうかがいました。すると、『断ろうと思っていました』なんていわれて、なんとなく不機嫌そうなんです……(笑)。でもとても人柄のよい方で、まず生い立ちを語ってくださいました。それがとても劇的で、しかも意外とお話し好きであることがわかりました」

 かくして取材はすすみ、連載も好評裡に終わった。ところが、最終回で自筆サインを5名にプレゼントすると告知したところ、ものすごい数の応募があり、急きょ、サインを数十枚書いてもらうことになった。

「あらためて川崎さんの人気を再認識しました。そこで、連載をもとに、一冊の評伝にできないかと思うようになりました。なにしろ連載は全部で6000字しかなく、書けない話も多かった。そこで追加取材をおこない、2024年春からわたしが執筆まとめに入り、ようやく約18万字、正味360頁前後の評伝となりました」(池田文化部長)

 つまり本書は、川崎のぼるの「自伝」ではなく、あくまで「評伝ノンフィクション」なのである(もちろん川崎さん自身のコメントもたっぷり入っている)。この構成が、かえって内容に深みを与えることになった。ホーム社の担当編集者、木下暢起さんの話。

「ちゃんと世相や時代色もからめて描かれており、資料的価値も高い。さすがに新聞記者が書いた評伝だと感動しました」

 木下さんは、集英社のコミック編集出身で、ホーム社の前・代表取締役。「週刊少年ジャンプ」連載『荒野の少年イサム』の復刻版(集英社発行)を手がけたことがあり、川崎さんとは縁があった。

「復刻版のあとに川崎先生の自伝も構想したのですが、コロナ禍など諸々の事情で延び延びになっていました。やっと先生に連絡したところ、新聞連載をもとにした評伝の準備が進んでいると聞いたので、ぜひにとお願いして、ホーム社で発行させていただくことになりました」(木下さん)

 では具体的に、どんな評伝なのか。さっそくご紹介していこう。

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