断トツの優勝候補・横浜に潜む落とし穴 夏の甲子園で起きた「ポカ負け」の歴史

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 8月5日に開幕した夏の甲子園。大阪桐蔭をはじめ、多くの有力校が地方大会で姿を消す波乱の夏となった。その中で、世代ナンバーワン右腕・織田翔希を擁する横浜が、4季連続で甲子園にやって来た。【久保田龍雄/ライター】

柔よく剛を制す結果

 今大会でも断トツの優勝候補に挙げられている横浜だが、一つ歯車が狂えば、今春のセンバツで初戦敗退したように、実力を出し切れないまま敗れる可能性もある。しかも、初戦の相手は昨夏の覇者・沖縄尚学。いきなり“事実上の決勝戦”ともいえるカードが組まれ、予断を許さない。そこで今回は、過去の夏の甲子園で横浜が喫した「まさかの敗戦」を振り返ってみたい。

 まずは1994年である。横浜は斉藤宜之(元巨人など)、紀田彰一(元横浜など)、多村仁志(元DeNAなど)の超高校級クリーンアップと、プロ注目の本格派右腕・矢野英司(元横浜)らタレントを揃え、仙台育英、樟南、宇和島東とともに四強に挙げられていた。

 ところが、初戦の那覇商戦で、高校通算41本塁打の4番・紀田が第1打席から3打席連続四球と勝負を避けられた。1点を追う8回2死二、三塁の第4打席も、当然のように敬遠。直後、2死満塁から多村が力んで遊ゴロに打ち取られた。

 上手投げと横手投げでフォームに変化をつけながら、変化球を有効に使う左腕・伊佐真琴の前に、横浜打線は「打たなければ」と気負い、あと一打が出なかった。

 一方、那覇商は2死から放った2本のタイムリーに加え、スクイズと犠飛で少ない好機を確実に得点へ結びつけ、4対2で逃げ切った。優勝候補から甲子園初勝利を挙げる大金星だった。

 試合後、横浜の渡辺元智監督は「敬遠という作戦はあるけど、攻めてほしかった」と遺憾の意を表した。これに対し、那覇商の神山昂監督は「敬遠は最後だけ。伊佐のボールが荒れていただけで、最初から狙っていたわけじゃない」と自然体を強調。まさに柔よく剛を制す結果となった。

無駄な点をやっては勝てない

 松坂世代以来の春夏連覇を狙いながら、まさかの初戦敗退を喫したのが2006年である。

 夏の甲子園3連覇を狙う駒大苫小牧とともに優勝候補に挙げられていた横浜は、1回戦で大阪桐蔭と対戦した。大阪桐蔭は前年夏の4強だったが、下馬評では総合力で勝る横浜が有利とみられていた。

 序盤は横浜ペースだった。初回に高濱卓也(元阪神など)の二塁打で先制。逆転を許した直後の5回には、松本幸一郎のタイムリーで2対2の同点に追いついた。

 だが、なおも1死満塁のチャンスを併殺で潰し、6回の1死満塁でもスクイズが一塁への小フライとなり、併殺で無得点に終わった。2イニング続けて絶好機を逃したことが、試合の流れを大きく変えた。

 7回にエース・川角謙がつかまり、この回5長短打で4失点。さらに8回、3番手・落司雄紀が謝敷正吾に3ラン、中田翔(元日本ハムなど)にバックスクリーン左へのソロ本塁打を浴び、試合が決した。

 横浜は9回に越前一樹の2ランなどで3点を返し、最後の意地を見せたが、焼け石に水。6対11で試合終了となった。渡辺監督も「いくら点を取っても、無駄な点をやっては勝てない」と無念さをかみしめた。

 もし、この試合に勝っていれば、2回戦の相手は“ハンカチ王子”斎藤佑樹(元日本ハム)を擁する早稲田実だった。

 たらればの話になるが、横浜が初戦敗退に泣いていなければ、早実・和泉実監督の優勝時の名セリフ「88回待って勝てました」が聞けたのか。そういう意味でも興味が尽きない。

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