「いつかは“山小屋”と“こたつ”を設計したい」 東京スカイツリー(R)を手掛けた建築家「吉野繁氏」アイディアはあるけれど「まだ誰も発注してくれません(笑)」
「発注をお待ち申し上げております」
――吉野さんの山小屋は機能的でありながら、遠くからも見つけやすそうなシンボリックなデザインですね。
吉野:スカイツリーを設計していた頃から、構想は頭にあります。スカイツリーの竣工後、講演会に呼ばれる機会が増えたのですが、壇上ではいつもこの山小屋のアイディアを話しているのです。しかし、まだ誰も発注してくれませんね(笑)。誰か発注してくれたら、喜んで、設計するんですけれどね。
――吉野さんはアンビルトになったものもあれば、頭のなかで構想したまま、まだ実現できないものがある。それでも設計を止めないのが素晴らしいですね。
吉野:本当にいろいろ大変なことがありましたし、ボツになった案は無数にあります。それでも、私はポジティブに考えるようにしているのです。スカイツリーだって、秋葉原でタワーの仕事をやっていたから自分に回ってきたわけですから。
未来館のベースになったのも、上海の「科学館」の国際コンペのアイディアです。このときは1等をとって賞金までもらったのですが、その後にアメリカのクリントン大統領が上海を訪問したとき、アメリカチームの案に変更されてしまいました。
本当に残念でしたが、そのおかげで、会社(日建設計)が未来館の計画に参加させてくれました。次こそはと、やりたかったことを、より上をいく形で実現させたいという思いで仕事をしました。
――悔しさが名建築を生み出す原動力であるわけですね。
吉野:辛いことがあったからこそ奮起できるし、よりよい建築が設計できると思っています。そういう意味では、私のなかでは“負けるが勝ち”ですね(笑)。
第1回【「東京スカイツリー(R)」「渋谷ヒカリエ」を手掛けた建築家「吉野繁氏」が明かす“都市のシンボル”を設計する苦労…「“変なものを作ったら孫の代まで笑われますよ”と言われましたね」】では、世界的建築家の「吉野繁氏」に、東京スカイツリー(R)を設計することになった経緯などについて、詳しく話を伺っています。
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