楽器にも触れていないのに「俺はミュージシャンになる」 “イカ天”初代グランド王者・浜崎貴司がフライングキッズを結成するまで
1年遅れで上京 地元の同級生と「フライングキッズ」結成
高校の同級生に、後にフライングキッズのギタリストとなる加藤英彦がいた。
「3年のとき、加藤に『バンド一緒にやろうよ』って学校の帰り道に言ったんです。彼もいいよ、と言ってくれて。大学で東京に出てからやろうと思ったんです」
初めてバンド結成に一歩を踏み出した瞬間だった。が、大学受験は失敗。地元・宇都宮で1年間の浪人生活をおくった。先に上京した加藤は、東京でバンドを組んでいた。
「高尾(東京都八王子市)にあった加藤のアパートで、『フライングキッズ』っていう名前のバンドにしない? と言われて。そこから始まったんです」
加藤が別のバンドで組んでいたドラマーの中園浩之を加え、当初は3人で結成した。7人組になったのは東京造形大学の学園祭がきっかけだった。
「3人組の最初の頃は、ベースが毎回違う人でした。加藤が通う東京造形大の学園祭ライブで、バンドサークル『重音楽部』のメンバーが『フライングキッズ、面白いね』と認めてくれて。そのサークルにいたベースの伏島和雄が『俺、リーダーやるから入るわ』って。さらにギターの丸山(史朗)とキーボードの飯野(竜彦)が加わり、さらに中園さんが『コーラスを入れよう』と、女性ボーカルで活動していた浜谷淳子ちゃんが入って」
作曲も作詞も経験がなかったが、いつかできるだろうと思っていた。
「詞は書けるだろうなと思っていましたが、全く書いていなくて。伏島に『浜ちゃん、詞書いてよ』と言われて書き始めたのがきっかけです。最初は全然書けなくて、自分で『ひでえな』『これはよくないな』と思いながらやっていました。メンバーで共作した曲に、セッションしながら『我想うゆえに我あり』というフレーズをファンクでやることを思いついてから急にモードが開けて、バババッと書けるようになったんです」
この曲は後に2枚目のシングルになる。デビューシングルの「幸せであるように」のほうが後からできた。
「ノートに自分が見聞きしたものを書いて、体に落とし込んだものをアドリブで歌うことを繰り返し、それを録音して文字に起こしたのが『幸せであるように』です。理屈っぽくなくできた感じ。曲もそう。みんなでモチーフを持ち寄って、持ち帰って直してという作業を積み重ねて。今もそうしたいですが、そこまで時間もない。贅沢な作り方でした。当時は若かったし、自分の気持ちもバンバン叫べたんです」
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“根拠なき自信”を持ち続け、バンドを結成してプロを目指した浜崎。第2回【“イカ天”で人生が一変 「幸せであるように」浜崎貴司、フライングキッズ解散と再結成を語る】では、初代グランドキングになった名物番組「イカ天」や、その後のソロ、バンド再結成などについて語っている。






