「救助隊は何もせんで、満足に声かけしなかった」レスキュー隊が救えなかった命 近隣住民が明かす「二次被害を出さないのが訓練の鉄則になっている様子」
“ジャッキ持ってきて!”
7月28日に発生した熊本地震での死者数は、今月4日時点で38名を数える。中でも震源地に近く最大震度7を記録した氷川町では、木造家屋の倒壊による死者が続出した。
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「地震が起きた日に救助隊は来たんです。それでも結局、平田さんのことは助けられませんでした……」
と嘆くのは、氷川町鹿島区で区長を務める土肥幸憲さん(78)だ。彼の住む集落で亡くなった60代の平田京子さんは、父親と妹と家族3人で暮らしていたという。
「平田さんの家は屋根が崩れてペシャンコでした。お父さんは無事だったけど、姉妹の姿が見えないというので、私一人で救出作業を始めた。屋根瓦などをだいぶ取り外しよったら、お姉さんの姿が見えた。ひどく両足が圧迫されていて、こりゃいかんと思ったね」(同)
そこで土肥さんは、周囲の人に“ジャッキ持ってきて!”と叫んだという。
「近所の吉見自動車さんが車用ジャッキを運んできてくれた。それで重い屋根を持ち上げたら妹さんも見つかった。最初に見つけたお姉さんより助けやすい位置だったので、ロープで引っ張り出せたのです」(同)
「彼らはなーんもせん」
再び姉の救助に取りかかった土肥さんだったが、作業は難航を極めた。うずくまった姿勢で横たわる彼女は、足のみならず顔もがれきに押しつぶされていたのだ。
「とにかく体の圧迫を楽にしてあげたかったけど、切れ味が悪いノコギリや小さいカッターしかなくて大変だった。力まかせに畳を切りながら、お姉さんに“大丈夫。もう少しだから”と声をかけて作業をした。やっぱり声をかけられると元気になる。生きようとする力も出るけん。お姉さんは“痛い。死んでもよか”と言うけど、“大丈夫、大丈夫”って声をかけ続けた」(土肥さん)
土肥さんにも疲労の色が隠せなくなった頃、ようやく消防車がやって来た。
「救助隊が“もう大丈夫です。代わります”って言うから、後は任せるけど“声かけは続けてね”と頼んだ。それから1時間くらいたっても、彼らはなーんもせんで“二次被害が起きる”とか“安全を確保しないと”なんて言うだけでね。声かけさえしない。翌朝まで状況は変わらず、隊員に生存確認したら“意識がない”と言われた。若い隊員ばかりだったけど、二次被害を出さないのが訓練の鉄則になっている様子でね。それはそれで仕方ないとは思うけど……」(同)
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