“数秒のサービス”で仕事を干された人気司会者「前田武彦さん」 生涯現役だった気概と「体に秒針が刻み込まれているような」話芸
「マエタケさん」の光と影
2011年8月5日、タレント・司会者の前田武彦さんが死去した。1950年代から放送作家として活躍し、60年代には司会者・タレントとして大人気に。「マエタケ」のニックネームで親しまれたが、1973年に番組である一言を発したことから干されることになった。週刊新潮の人気連載「墓碑銘」で前田さんの生涯を振り返る。
(以下、「週刊新潮」2011年8月25日号「墓碑銘」を再編集しました)
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テレビ草創期からの生き証人
昭和48(1973)年、絶大な人気を誇る前田武彦さんの環境は激変した。番組中にバンザイをしたことで仕事を失い、10年近くも干され、主役の座に戻ることはなかった。
参議院議員補欠選挙の共産党候補者の応援を依頼された前田さんは、「放送中に選挙について何か言う」と聴衆に語りかけていた。その約束を守ってのバンザイだった。「共産党バンザイ」と明言したわけではないが、同じことだと厳しい批判にさらされた。
平成20(2008)年、「新潮45」で前田さんを取材したジャーナリストの菊地正憲さんは言う。
「軽い気持ちでの数秒のサービスが人生を変えた。悔やんでいると言いながら、淡々と受け止めていました。共産党支持ではなく、時の権力に反対する意味での反体制の人間、反体制はお笑いの原点だと話していた。保革対立が激しい時代に共産党のレッテルを貼られた。テレビ草創期からの生き証人で、生放送の話芸を思うと、第一線での活躍が途絶えたのは、本当にもったいない」
コントのセンスが光る放送作家
昭和4(1929)年、東京生まれ。海軍飛行予科練習生に志願、特殊潜航艇に乗る訓練を受けた。鎌倉アカデミアの演劇科に学び、NHKがテレビ放送を開始した昭和28(1953)年から番組台本を書く。最初の作品は影絵人形劇だった。
同年に嘉子さんと結婚。取れた金歯を質入れしたほど赤貧で、出産を断念したことも数回ある。後に一男一女を授かり、子煩悩だった。
コントのセンスが光る放送作家である。昭和36(1961)年、「シャボン玉ホリデー」が大ヒット。放送作家の経験は自ら画面に登場するようになって大いに活かされた。「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」では大橋巨泉さんと司会を務め、立川談志さんの後、「笑点」の2代目司会者にも。
「落語に詳しいわけではありませんでしたが、即興の喋りはさすがでした」(放送作家の新倉イワオさん)
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