“数秒のサービス”で仕事を干された人気司会者「前田武彦さん」 生涯現役だった気概と「体に秒針が刻み込まれているような」話芸

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芸能人の人柄を引き出したはしり

 昭和43(1968)年開始の「夜のヒットスタジオ」は、40%以上の視聴率を記録した週もある。番組プロデューサーだった疋田拓さんは振り返る。

「歌を聴かせるだけでなく、歌手の素顔を見せたいという放送作家の塚田茂さんの意図に前田さんがこたえた。芸能人の人柄を引き出したはしりです。毒舌と言われましたが、性格を的確につかみ弱点は突かず、後でフォローする思いやりがある。あだ名をつけたのも相手をリラックスさせるためです」

 共に司会を務めた芳村真理さんには、ナマズのおばさんと命名。生放送中に歌手が泣くハプニングも前田さんが醸し出した雰囲気ゆえだろう。番組外で歌手から個人的な相談もされたほどだ。

 バンザイの一件が起きたのは、この「夜のヒットスタジオ」である。全てのレギュラー番組を失い、生活を支えたのは、地方の零細企業の社長と対談する情報誌の仕事だった。下請けの苦労を知り、時に傲慢だった自身を省みるようになる。

70分の講演にメモ1枚すら用意せず

 朝の情報番組の天気コーナーで復活。平成11(1999)年の古稀の会には錚々たる顔触れが溢れた。儀礼ではなく、皆会いたがっていたのだ。

 腸に異変を感じて入院する1週間前の7月21日には、鎌倉で仕事をしていた。

「円覚寺では70分の講演をメモ1枚すら用意せず饒舌に語り、その後ラジオの約1時間の収録も完璧でした。人生を振り返るお話でした。体に秒針が刻み込まれているように話の展開や構成が見事です。見えない部分で努力や気遣いをされていた。落合博満みたいですねと言うと笑っていました」

 と、スポーツジャーナリストの染谷恵二さんは言う。

「小沢昭一さん、永六輔さんと一緒に番組を作りたいと意欲を示されていました」

 2011年8月5日、肺炎のため、82歳で逝去。最後の仕事となった収録は、「Viva! スポルト」というFM番組で放送された。持ち味である台本なしのフリートークで足をすくわれたが、その話芸と気概は生涯現役だった。

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「芸能マスコミは、足元を掬うのが得意だから」――。【「夜ヒット」超人気司会者・前田武彦は“バンザイ事件”でなぜ、テレビから消えたのか 本人が亡くなる前に語っていた本音「悔やんでいる。でもね、真実とは違った」】では、ジャーナリストの菊地正憲さんに対し、前田さん自身が当時の心境を明かしている。

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