絶対プロになれないと思っていたら…「歌ってみたら?」高橋幸宏に見いだされた高野寛、デビューまでの軌跡
高橋幸宏との出会い
ところが大学2年の時、あるオーディションに送った作品が「うちのカラーには合わないけれど、面白い音楽をやっているからもっと続けて」と初めて称賛された。それでも自分自身へのネガティブな評価は拭いきれなかったが、3年時の1986年、鈴木慶一のバンド「ムーンライダーズ」とYMOの高橋幸宏主宰のオーディションを知り、応募する。
「何かいい評価がもらえれば、と思っていたところ、最終選考まで残って。東京で行われたライブ審査でベストパフォーマンス賞をいただきました。まさに青天の霹靂で、何より憧れのYMOの幸宏さんに認めてもらえたことが驚きでした。習作を重ね、断片的で手あたり次第に作っていた頃から少しずつ積み上げていったものが、やっと形になった時期だったのかも。自分らしさが見えてきたタイミングだったと思います」
この受賞後、デビューまで2年を要したが、それに先んじて、鈴木と高橋のユニット「THE BEATNIKS」のギタリストとしてツアーに帯同することになった。
「すごく貴重な経験でした。もう1人のギタリスト、大村憲司さんのプレイに打ちのめされて。やはりプロは本当に凄みがあり、コンテスト受賞で天狗になっていた自信を粉々に打ち砕かれ、失いかけました。そんなとき、幸宏さんが僕のデモテープを聴いて『声に特徴があるから自分で歌ってみたら?』と背中を押してくれたんです。幸宏さんとの出会いがなかったら今の自分はないし、シンガーソングライターとしての形を作ることができたのも幸宏さんのアドバイスのおかげです」
高橋は声だけでなく、曲も褒めてくれた。
「そこから集中して自分で日本語の詞を書き、どんどんペースを上げて曲を作るようになりました。デビュー前の1年間で作りためた曲が、デビューしてから3年間ぐらいの蓄えになったんです。歌の世界観は、結局、人生経験の反映。学校と自分の部屋を往復するだけの世界から一転、ツアー以降の約半年間で、それまでの人生にはなかった驚きの経験をいっぱいさせてもらって、視界が開けたんだと思います」
当初はバンドデビューの話もあったが、大学卒業後の1988年10月、高橋のプロデュースでシングル「See You Again」を発売、ソロでデビューを果たした。
「想像を何倍も上回る現実が目の前にやってきて、デビューしたという実感が伴わないような感覚。それでも発売日はレコード店に行きましたよ(笑)」
高野がヒットチャートを賑わせるようになるまでには、さらに1年以上を要した。
***
高橋幸宏との出会いからデビューを果たした高野。第2回【スキーCMで大ヒットした「虹の都へ」 高野寛を“宅録青年”から“ヒット歌手”に変えた出会い】では、大ヒットとなった「虹の都へ」や、近年のライブなどについて語っている。






