【豊臣兄弟!】「秀吉は庶民派の権力者」は大間違い 大坂城に高貴な娘300人囲ってハーレムを築く「極悪の欲情」の所有者だった

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「人たらし」を自分の利益のために利用した

 主君、織田信長(小栗旬)の仇である明智光秀(要潤)を斃した直後のことだった。戦場での傷がもとで、妻の慶(吉岡里帆)の連れ子で長男として育てていた与一郎(大西利空)を失い、小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)は嘆いていた。そこに現れた兄の羽柴秀吉(池松壮亮)は小一郎に、こっそりこう告げた。「これはわしらだけの秘め事じゃ。信勝様でも信孝様でもない。このわしが上様の思いを継ぐ」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第29回「天下への道」(7月26日放送)。

 これまで秀吉は「豊臣兄弟!」では、主君思いで、家族思いで、とにかく「いい人」として描かれてきた。だが、いい人が信長の死後に、信長の遺児たちや並み居る重臣たちを押しのけて、政権を簒奪することなどできたはずがない。秀吉は類まれな「人たらし」だったと伝わるが、同時に、その特技を徹頭徹尾、自分の利益のために利用できる人物だった。

「このわしが上様の思いを継ぐ」という言葉は、「豊臣兄弟!」でもここからは、ようやく秀吉の利己主義が描かれることの表れかもしれない。とはいえ、それをリアルに描けば描くほど、秀吉は視聴者にそっぽを向かれてしまうだろう。それほど史料に記された秀吉の利己主義はえげつないが、ドラマを深く見るためにも、利己主義の一端くらいは知っていてもいい。そこで、秀吉の「女好き」にまつわる独善的なエピソードをいくつか、以下に記してみたい。

 ただし、日本側の史料には、秀吉の独善性や傲慢さを物語るエピソードは見られない。それも当然で、絶対的な権力を掌握してからの秀吉には、ひとたび睨まれれば、失脚で済めばいいほうで、命さえ失いかねず、だれもが忖度して秀吉に関するネガティブ情報など書けなかったからである。

 では、だれが書き遺しているのか。日本の権力構造の外側にいた宣教師である。イエズス会のルイス・フロイスの『日本史』には、えげつない秀吉像が生々しく描写されている。秀吉を描くフロイスの筆致が厳しいので、天正15(1587)年にバテレン追放令を発布した秀吉への憎悪の反映だ、という見方がある。それは否定できないが、フロイスは自分たちの後継者が日本で布教する際の参考になるように書き遺している。筆致に憎悪がにじむことはあっても、ありもしない話を捏造して後継者たちの足を引っ張るようなことはしていないと思われる。

大坂城内のハーレムを寧々が仕切っていた

 まず、秀吉がどれほど恐れられていたか、というエピソードを引用してみよう。

〈彼は自らの権力、領地、財産が順調に増して行くにつれ、それとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えていった。家臣のみならず外部の者に対しても極度に傲慢で、嫌われ者であり、彼に対して憎悪の念を抱かぬ者とてはいないほどであった。彼はいかなる助言も道理も受け付けようとはせず、万事をみずからの考えで決定し、誰一人、あえて彼の意に逆らうがごときことを一言として述べる者はいなかった〉(松田毅一・川崎桃太訳、以下同)

 こんな人物だから、忖度せずに書けるのは宣教師ぐらいだった、ということである。フロイスはポルトガル語で書いており、それが万が一、秀吉の手に渡ったとしても、内容を読まれる心配はなかった。そして、女性について、こんな記述がとび出すのである。

〈聞くところによれば、関白は大坂城内だけで、日本全国の諸侯貴顕の娘たちを三百名も側室としてかかえており、それ以外に第一夫人とみとめられる人がいる。彼女はきわめて思慮深く稀有の素質を備えており、他の婦人たちはこの第一夫人に従い、関白はあまりにも大勢の女性をかかえているので彼女と生活を営まないにしても、彼女を奥方と認めている〉

〈側室〉と訳されているが、側室は公的な身分制度に組み込まれた妻を指す。それが300人もいたはずはないので、もっと広く私的な愛人を指す妾のことだろう。しかも身分を問わずに300人、ではない。全国から家柄のいい娘ばかり集めていた、という表現である。農民出身という出自ゆえのコンプレックスから、秀吉は高い家柄の娘にこだわったのかもしれない。また、〈第一夫人〉とは北政所こと寧々(おね)のことで、彼女が大坂城内のハーレムを仕切っていた、ということになる。

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