【風、薫る】看護ができなくなった見上愛「りん」は どうやってナースとして決定的な足跡を残すのか

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りんは手が震えて包帯も巻けなくなり……

 NHK連続テレビ小説『風、薫る』は、「明治のナイチンゲール」と呼ばれた2人のナースの物語である。明治時代に日本ではじめて近代看護学を学んだ大関和(1858~1932)と鈴木雅(1857~1940)をモデルに、看護の世界に飛び込んだ2人の女性の成長が描かれている。

 それなのに、第16週「新風吹くころ」(7月13日~17日放送)で、大関和をモデルにした一ノ瀬りん(見上愛)が看護婦をやめてしまったので、驚いたり、心配になったりした視聴者も多かったのではないだろうか。

 その後、第18週「岐路にて」(7月27日~31日放送)で、ふたたび看護婦として働かないか、という誘いを受けたりんだが、あっさり断ってしまう。はたして、りんはどうなるのだろうか。ドラマの行方を占うためにも、モデルになった大関和がたどった経緯を、田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫)をはじめ、いくつかの書籍も参考に、以下に記してみたい。だが、その前に『風、薫る』の展開をおさらいしておこう。

 庭師の山本辰治(本田大輔)は、帝都医大付属病院で胃がんの手術を受けたが、妻テイは熱を出して、見舞いに来られない。山本が「このまま俺が死んだらアレはまちがいなく、手術しなければよかったと自分を責める」といって、家に帰ろうとするので、りんは山本を介助しながら病院を抜け出し、テイのもとに連れていった。だが、翌朝、りんに連れられて病院に戻った山本は、病室の一歩手前で倒れて死んでしまう。

 病院の判断は、山本の死因はがんの末期症状によるもので、りんが連れ出したのが原因ではない、というものではあったが、以後、りんは手が震えて包帯も巻けない。患者に接するたびに山本との一件がフラッシュバックして、思うように看護ができない。しかし、彼女には養うべき娘も母もいる。そんなある日、大山捨松(多部未華子)が新潟の上越地方で女学校の舎監をしないか、と言ってきた。

 新潟の舎監の話は、鈴木雅をモデルにした大家直美(上坂樹里)が、捨松と一緒に進めていたものだった。直美は、りんが東京に不在のあいだは責任をもって家族の面倒を見る、という。りんは帝都医大付属病院を辞めることを決意し、新潟へと旅立った――。

りんのモデルも新潟の女学校の舎監に

 その後、高越女学校の舎監として寮暮らしをするりんのもとへ、帝都医大病院で外科助手をしていた黒川勝治(平埜生成)が訪ねてきた。黒川は地域で一番大きな黒川病院の跡取りで、東京から実家に戻ってきたのだという。そして、りんに「看護婦取締として黒川病院で働いてほしい」と頼み込んだ。しかし、りんは「自信がない」といって断ってしまう。これが、看護婦の誘いを受けながら断ってしまった、と前述した一件である。

 では、りんのモデルの大関和の場合は、どうだったのだろうか。和が帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院)の看病婦取締を辞職したきっかけは、ドラマと違って、看護教育の充実と看病婦の待遇改善を訴え、外科監督の佐藤三吉教授宛てに建議書を提出したことだった。これに対して医師たちは、自分たちの頭越しに建議書を出した和を許さなかった。結局、医師と反りが合わない和を看病婦取締として置いておくわけにいかない、という判断のもと、和は解任されてしまったのである。

 病院をやめる理由は史実とドラマでは異なるが、和が弱い立場の人を放っておけない一途な性格、という点はりんと共通している。そして退職後、高田(新潟県上越市)の女学校の舎監になって寮暮らしをはじめた、という点も、和はりんと共通する。和にその仕事を斡旋したのは、『風、薫る』に序盤で登場した宣教師メアリー(アニャ・フロリス)のモデルのメアリー・トゥルーで、明治23年(1890)11月、和は高田女学校寄宿舎に舎監として赴任した。

 いったん吹っ切れると迷いなく前へ進めるのが和の特徴で、二度と職を失わないように注意しながら、廃娼運動などにも力を入れている。そうして高田ですごし、1年近く経ったところで、思いがけない人物に出会うことになる。

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