なぜ私たちは下駄を履かないのに「靴箱」ではなく「下駄箱」と言い続けるのか
下駄を履く人はほとんどいないのに、なぜか私たちは今も「下駄箱」と呼ぶ。
国際日本文化研究センター所長の井上章一氏は、かつては役所や百貨店などの公共スペースも土足禁止だった歴史から、その理由を読み解いている。以下、新刊『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)から一部を再編集して紹介する。
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「下駄箱」が生き残った理由
下駄箱という言葉がある。今でも生きている。現代人が、しかしあそこへ文字どおりの下駄をおさめることは、あまりない。もう、下駄履きの習慣はすたれている。収納するのは靴やサンダルというケースのほうが、ふつうである。
にもかかわらず、靴箱という言い方は、下駄箱ほどひろがっていない。用語としては、下駄箱のほうが一般的である。下足の収納家具は、下駄の時代からできている。そして、靴の普及した時代には、履き物をあずからない施設がふえた。言葉をかえれば、靴をはいたまま入室できるところが多くなっている。
大病院、ホテル、百貨店などは、たいていそうである。かつては、それらも入口で下駄などをあずかった。だが、今は土足をうけいれている。外履きの管理箱は、その意味で靴より下駄のほうに、歴史的な親和性をもつ。下駄箱という語彙が温存されたのは、そのためか。
「土足」空間の拡大
かつての日本社会は、土足で屋内にはいることを、公共的な場でもゆるさなかった。百貨店や病院にかぎったことではない。今のオフィスにあたるような場所でも、土足は厳禁とされていた。
商人たちが算盤をはじき、帳簿をつける。そういう作業も、かつては畳や板敷床の上でおこなわれた。下足はしかるべきところ、べつの場所においている。侍たちの仕事場も、江戸時代の話だが、その点は同じである。彼らも職場、つまり役所や城では履き物を足からはずしていた。
しかし、この土足ぎらいとでも言うべき感性は衰弱を余儀なくされている。それが通用する範囲は、しだいにせばめられてきた。時代が下るにしたがい、まかりとおる区域は小さくなっている。とりわけ、公共的な場での凋落はいちじるしい。
かつては、おおぜいの人があつまる場でも、屋内なら草履などをぬがされた。だが、今はそういう場所が、よほどかぎられるようになっている。寺社や旅館か和食の店、あるいは規模の小さいクリニックぐらいに限定されだした。たいていの公共空間が、土足での入館をうけいれるにいたっている。
■「土足がダメ」なのは住まいだけ
ほぼ100パーセントの人びとが、外履きでの歩行をゆるさない。そんな場所は、個人のすまいだけになってきた。パブリックな領域からはしめだされ、プライベートなエリアへ局所化されている。
なるほど、屋内での土足厳禁という習慣は、民族的な感受性とともにある。だが、かつてのそれは、屋根でおおわれた床の、ほぼ全域にゆきわたっていた。今は、あるかぎられた場所でしか作動しない。この文化を全面的にたもっているのは、住宅だけなのである。土足嫌悪の心情は民族性にねざすが、その力はおとろえてきたと言うしかない。
小中学校、高等学校でも、上下足の分離をしいられた。そういう記憶をもつ人は、おおぜいいると思う。しかし、土足で教室へはいれる学校も、じつはけっこうある。少数だが、存在する。やはり、土足ぎらいの心性を、いちばん根強くとどめているのは住宅だと考える。
■服装の洋装化
今、大多数の日本人は、日常的に洋服を着用する。とりわけ、勤務時の服装にその傾向はいちじるしい。和装ではたらくという人は、ほとんどいないだろう。落語家や芸妓をはじめ、和服で職務に従事する人たちも、一部にいる。僧侶や神官も、洋装ではない例外的な職業人だと言ってよい。
だが、江戸時代までの日本人は、つねに和服をはおっていた。それこそ、身分や地域のちがいをこえ、伝統的な衣服に身をつつんできたのである。いわゆる南蛮時代をべつとすれば、そもそも洋服の普及じたいがありえなかった。
様子がかわりだしたのは、幕末の開国をむかえてからだろう。西洋諸国の軍事的な優位を知った幕府や少なくない藩は、軍隊の西洋化にのりだした。武器や戦闘技術のみならず、軍服も西洋にあわせだしている。
家に帰れば着物姿だった
明治の廃藩置県以後は、政府の官僚たちが洋服を身につけだした。内閣制度が確立してまもなく、それは公務員の義務となる。羽織袴をはじめとする和服での出勤は、ゆるされなくなった。
20世紀には、勤務着の洋装化が、サラリーマン一般へおよんでいく。1920年代には、半数以上の男たちが、洋服姿で外をあるきだした。20世紀のなかばをすぎたころには、大半の仕事着が洋装になっている。
ただ、洋服で出勤した男たちも、ひところは家へかえれば着物姿になった。きゅうくつに思えた洋服をぬぎ、肩がこらないと感じられる和服へきがえている。20世紀のなかばまでは、それが標準的な勤労者の生活スタイルだった。しかし、20世紀後半の高度成長期には、室内着からも和服は追放されていく。家でくつろぐさいのウェアも、しだいに西洋化していった。
部屋着としての和服はほぼ消滅した。だが、「家では靴を脱ぐ」習慣は住宅でいまも10割の水準を保っている。どうやら和服より、よほど深く民族性に根ざした文化であるようだ。日本人が靴で自分の寝室まで行く日はまだまだ来そうにない。
関連記事〈ブラジルの病院のベッドで靴を脱いだら、なぜ叱られたのか――日本人が戸惑う海外のルール〉では、手術中も靴が気になって腹筋で足を浮かせ続けた日本人研究者の体験を通じて、私たちの身体に深く刻まれた「靴を脱ぐ」習慣の正体が語られている。
※本記事は、井上章一著『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。










