「露出」「セクシー」…昭和のグラビア観を超えて 56歳・浅香唯が32年ぶり写真集で見せた素顔
子どもの頃の夢は「獣医さん」
今回の写真集は、私の故郷・宮崎を中心に撮影しました。
デビュー当時のキャッチフレーズは「フェニックスから来た少女」。宮崎のあちこちにあるフェニックスの木を見ると、今でも「ああ、帰ってきたな」ってホッとするんです。
私は宮崎市で生まれて、本当に毎日外を駆け回っているような子どもでした。男の子に交ざって原っぱや公園で遊んで、木登りも大好き。気づけば木の上にいるような子で(笑)。そのおかげなのか、「スケバン刑事III」では高い木に登るシーンもスタントなしでやらせていただきました。
子どもの頃の夢は獣医さんでした。母に「獣医になりたいなら勉強しなさい」と言われて勉強も頑張りましたけど、頑張っている姿は見せたくないタイプだったんです(笑)。宿題も早く終わらせて、あとは暗くなるまで思いきり遊んでいました。
そんな私の人生が大きく変わったのは、中学3年生の時です。コミック雑誌で見つけたスカウトオーディションに応募したのがきっかけでした。
でも、本当は芸能界に憧れていたわけじゃなくて、副賞の赤いステレオが欲しかったのと、一度も行ったことのない東京へ行ってみたかっただけなんです(笑)。中学最後の思い出くらいの気持ちで応募したら、ありがたいことに浅香唯賞をいただいてしまって。
ステレオをいただいて宮崎に帰った私は、「ありがとうございました。でも芸能界には入りません」と事務所にお断りまでしたんです。それでも、担当の方が何度も宮崎まで足を運んでくださって、熱心に声をかけ続けてくださる姿を見て、「ダメだったらやり直せばいい。一度くらい挑戦してみようかな」と思えるようになりました。
ただ、両親は最後まで大反対でした。特に母は、私が東京へ向かう日も見送りに来てくれなかったんです。
上京してからは、すぐにホームシックになりました。でも母譲りの意地っ張りだったので、「家に電話したら負け」なんて思ってしまって(笑)。お互い、一度も連絡しませんでした。家族と再会したのは、デビュー曲「夏少女」を歌って宮崎でキャンペーンをした約1年後でした。
母は会場にこっそり来てくれていて、歌も踊りも苦手だった娘が一生懸命ステージに立っている姿を見て、ようやく安心したそうです。その日は何事もなかったみたいに実家へ帰って、母の手料理を食べました。照れくさくて何も言えませんでしたけど、あの日のご飯は今でも一番おいしかったなって思います。
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