プロレスラーなのにデビュー曲が“80万枚”大ヒット! 「ビューティ・ペア」が女子中高生を熱狂させた背景に“人気漫画の舞台化”があった
駆け巡る二人の青春
「好きな男性が出来た」とマキがジャッキーから言われたのは、ブレイクの翌年だったという。理想主義のジャッキーと比べ、大らかで細かなことは気にしないマキは、特に昵懇の仲というわけではなかったが、ビジネス上の相性は最高だったようだ。例えば、ド忘れした歌詞を他方が引き取って歌うことなどは頻発していた。しかし、当時は多忙を極め、「いつも眠たかった」(マキ)という。そこにジャッキーから恋の悩みを打ち明けられ、自らの首の怪我や母の闘病も重なり、ビューティ・ペア解散を会社に申し出る。それが受け入れられ、マキは日本武道館でジャッキーとの一騎打ちに敗れる形で引退した(1979年2月)が、ジャッキーのソロコンサートにマキが飛び入りするなど、その後も不即不離の関係は続いた。
マキはその後、地元の鳥取に店を構えるなど、飲食業に勤しんだ。一方、エースとして数多のビッグマッチをこなしたジャッキーも1981年に引退。その後、別団体に参画もしたが、1990年代には、数々の国の資格をとり、「年齢と、体の調子に合わせたトレーニング」を考案。この教室を複数主宰し、その実績と知名度からNHKでも特集され、何百人もの生徒を抱える人気者に。やはり体を動かすのが大好きだったようで、「忙しくて、男を探している暇もない」と言いながらも、嬉しそうだったという。
そんなジャッキーが1998年、鳥取のマキの店まで駆け付けたことがあった。同店の10周年記念で、久々の再会となったが、「かけめぐる青春」を共に歌い、ジャッキーはこう言ったという。
「ビューティの相手が、マキちゃんで、本当に良かったよ……」
「ちょっと、どうしたの? 今さら何よ! 現役時代は一度も褒めてくれなかったくせに!(笑)」
ジャッキーの訃報が届いたのは、その一年後だった。再会した時は、既に末期の胃ガンにむしばまれていた。
「死期を悟って、わざわざそれを言いに来てくれたのかな、と思ってます」とは、マキの回顧である。
ジャッキーの訃報を報じるテレビのニュースの背後に、「かけめぐる青春」のサビが流れていた。
〈あなたから、私へ
私から、あなたへ
送る言葉は 悔いのない青春 かけめぐる青春〉
リングに青春を燃やしたビューティ・ペアの輝きは、今もって色褪せることはない。
※1:「日刊スポーツ」1999年8月10日付
※2:「週刊ポスト」1977年4月8日号
※3:「週刊宝石」1989年9月14日号
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