プロレスラーなのにデビュー曲が“80万枚”大ヒット! 「ビューティ・ペア」が女子中高生を熱狂させた背景に“人気漫画の舞台化”があった

スポーツ

  • ブックマーク

人気は関東から……

 しかし評判は散々。当時の女子プロレスの観客層は主に中年男性で、ましてや歌謡ショーを観に来ているわけではない。「下手くそ!」「とっとと引っ込め!」など、野次もえげつなかった。レコードの発売(1976年11月25日)から3ヵ月後、ビューティ・ペアは沖縄巡業に向かう船の中で、上層部に直談判する。

「お願いですから、歌わせるのだけは、もう止めて下さい……」

 2人とも涙を流していたという。

 上層部も潮時だと思い、リングでの歌唱は終わりにしようとしたその時だ。沖縄から関東へ帰る巡業途中の広島県大会で、鉢巻きを巻いた女性ファンが数人現れ、ビューティ・ペアに握手やサインをねだった。2人は不思議に思っていたが、関東に帰ると、群馬県の大会では2人の歌唱時に紙テープが飛んだ。そして千葉まで南下すると、それまでは見なかった小学生から高校生までの女性ファンが会場に詰めかけ、入り切らぬほどになったのだ。続く2月25日、横浜文化体育館(現・横浜BUNTAI)大会でも異常人気を博し、約5000人の収容人員に、立ち見を含めて6000人以上を詰め込んだ。これにより同体育館側からお目玉を食らい、しばらく使用禁止となってしまったが、これでビューティ・ペア人気は決定的となった。

 からくりはあった。前述のように、女子プロレスはフジテレビで不定期ながら放送されていたが、こちらは関東ローカルの番組であった。全女が地方を回っている間、関東ではこちらの視聴率が上昇。放映時間やその長さはマチマチながら、1977年の年明けから2月末までで日曜日の夕方を中心に6回も放映されており、ビューティ・ペアは常にその中で歌っていた。彼女たちの預かり知らぬ間に、関東ではすっかり有名人になっていたのである。

 以降、ビューティ・ペアは時代の寵児に。3月15日(火)にはNHKで夜8時から放送の「歌のグランドショー」に出演(共演は郷ひろみや松任谷由美など)、翌月にはフジテレビ「夜のヒットスタジオ」に登場。ファンクラブを立ち上げると女子中高生を中心に会員は2カ月で6000人を突破し、最終的には1万人を超えた。それまで女子プロレスを不定期に放映していたフジテレビは7月15日(金)より、毎週夜7時からの30分番組としてレギュラー化を決定。番組タイトルは「女子プロレス・真赤な青春」で、「真赤な青春」とは、この前の月に発売されたビューティ・ペアの2枚目のシングルの題名でもあった。当日の新番組紹介欄に〈(放送は)原則として二試合とし、(中略)二試合の合間に女子プロレスラーが自分達のヒット曲を歌う〉(読売新聞ほか)とあることからも、完全にビューティ・ペアありきの番組への栄転だった。

 7月には映画「ビューティ・ペア 真赤な青春」が公開。8月に浅草国際劇場で歌謡ショーをおこなうと、3日間分のチケット1万2000枚が50分で売り切れ、急遽追加公演を足すことに(8月5~8日)。最終日の8日には興奮したファンがステージに大挙乱入し、ショーが一時中断する騒ぎとなった。年末の「レコード大賞」では、「かけめぐる青春」で企画賞を受賞。「NHK紅白歌合戦」にも紅組の応援団として出演した。

次ページ:ビューティ・ペアが大人気になった理由

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。