「少年たちに日弁連がついてから、謝罪はなくなった」 山形中学1年生マット死事件、亡くなった有平さんの父が明かす苦悩 「発狂するように泣き喚いたことも」

INCIDENT 国内 社会

  • ブックマーク

「お金が目的ではない」

 当時12歳だった少年を除く6人を対象にした少年審判で、山形家裁は3人を少年院と教護院送致の保護処分に、3人を不処分にした。

「少年審判が終わった後、95年に僕らは少年7人を相手に損害賠償請求訴訟を起こしました。お金が目的だったわけではありません。証拠を調べてもらい、公開された法廷で有平に何が起きたのか確定させたい。それが一番大きな理由でした」

 昭平さんにとって、切実な事情があったのだ。

「当時の少年法では、僕ら遺族は少年審判に参加することができませんでした。自分の子どもが亡くなった事件なのに、どのような証拠が出され、誰が何を話しているのか、十分に知ることができなかったんです。だから、僕はその後の民事裁判には必ず出るようにしていました。民事の法廷に出ることは、何が起きたかを知るための数少ない方法だったんです」

 そして、この民事裁判こそが、実に奇妙な道程をたどることになる。

 後編では、“元少年”の一人に直撃取材を敢行。賠償金を支払っていない理由などについて聞いている。

週刊新潮 2026年7月30日・8月6日号掲載

INCIDENT拡大版「山形『中1マット死』で元少年に1.1億円支払い命令 被害生徒『父親』が語った“苦悩の33年”」より

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

あなたの情報がスクープに!

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。