「少年たちに日弁連がついてから、謝罪はなくなった」 山形中学1年生マット死事件、亡くなった有平さんの父が明かす苦悩 「発狂するように泣き喚いたことも」
「発狂したように泣き喚いたことも」
そうして、事件後の出来事を振り返る。
「娘が中学生のとき、いろいろ心が揺れ動いて、爆発したのかな。“有名ブランドのスーツが欲しい”と言い出したことがあります。うちのカミさんはその服を買ってあげたのですが、後で聞くと40万円もするものでした。さすがに中学生にはふさわしくないと思って、カミさんにもそう言いました。するとカミさんは“私も最初はそう思ったけど、彼女が欲しいと言っている。有平はそんなことすら何一つできなかったじゃない”とね。僕もそうだな……と思って“買ってあげてよかったね”とカミさんに言い直しました。こういう話をすると、がぜんハートが壊れちゃうんです。車の中で、突然発狂したように泣き喚いたこともありますよ」
そう言うと、昭平さんはペンダントを差し出した。
「これは有平の自画像を基に作った純金のペンダントです。銀座の田崎真珠さんに作ってもらいました。精神のバランスがおかしくなりそうなとき、なんとかして有平と一緒にいたいな、と思ってね。それならペンダントを作って首にかけていたら、いつも一緒にいることになるんじゃないかな、なんて考えたんですよ」
もちろん、ペンダントは特注品だ。
「有平が好きだった手塚治虫さんのマンガには、よくベレー帽をかぶった手塚さん本人が出てくるでしょう。あれと同じで、有平が描いていたマンガにも有平が出てくる。本当に有平そっくりでね。机の引き出しに残っていたマンガの自画像を基に、ペンダントの表面をデザインしたんです。裏面には遺された家族四人の名前を彫りました。表と裏を合わせて、いつも家族五人一緒にいることになる。これを家族みんな、一つずつ持っているんですよ」
「日弁連がついてから、少年の親が謝罪に来ることはなくなった」
あくまで穏やかに語る昭平さん。しかし有平さんの死後、その胸に真の平穏が訪れたことはないのではあるまいか。というのも、事件当時に傷害と監禁致死の疑いで逮捕・補導された、有平さんと同じ中学に通う元少年7人との“戦い”が、現在に至るまで続いているからである。
昭平さんが続ける。
「捜査の初期には、少年たちは事件への関与を認める供述をしていたと聞いています。ただ、夕方に家へ帰ると親から“やっていないと言いなさい”と言われ、翌日になると前日の供述内容を撤回してしまう。そのため、供述調書の作成に非常に時間がかかったと聞きました」
こんなこともあった。
「事件直後、ある少年の父親は花と線香を持って、毎週水曜日に僕の家に来て“申し訳ありません”と謝っていました。有平が亡くなったのが水曜日だったんですよ。それから、別の少年の父親も、床に這いつくばるように土下座をしていた。ところがその後、少年たちが“自分たちは関与していない”と主張するようになると、保護者が家に来ることはパタッとなくなりました。こうした変化が起きたのは、少年たちに日弁連がついてからですね」
[2/3ページ]



