「逆に損害賠償請求したい」 〈山形中学1年生マット死事件〉“元少年”から飛び出した「驚愕のセリフ」

INCIDENT 国内 社会

  • ブックマーク

逆さの状態で3時間近く

 中学生が体操用マットに押し込まれ、窒息死。世間を震撼(しんかん)させたおぞましい事件から33年経てなお、遺族は理不尽な戦いを強いられている。7月15日、事件当時、逮捕・補導された7人のうち3人に、約1億1260万円もの損害賠償金の支払いが命じられた。しかしなお元少年たちから謝罪や反省の弁はないという。そこで、その一人に「週刊新潮」は直撃取材を敢行。彼の口から飛び出した驚愕(きょうがく)の言葉とは……。

 ***

 初めに、1993年1月13日に起きた事件の概要を振り返っておく。

 その日、山形県新庄市立明倫中学校1年生の児玉有平さん(13)=当時=は、部活動の後、一度帰宅してから英語塾に行くことになっていた。ところが、夜7時を過ぎても学校から帰ってこない。心配になった母親が学校に電話をすると、部活動はとっくに終わっているという。

 父の昭平さんが近所を捜索したものの、有平さんは見つからない。不安な気持ちを抱いたままいったん家に戻ると、電話が鳴った。学校からである。午後8時過ぎ、同校の教諭が、体育館の用具室にあるマットに頭から押し込められた有平さんを発見したのだ。

 昭平さんは一目散に学校へ向かい、土足のまま体育館に上がり込んだ。床に寝かされていた有平さんを抱きしめると、すでに息はなく、顔は痣だらけで腫れ上がり、にわかには息子だと思えないほど変わり果てていた。有平さんの死因は窒息死だった。マットの高さは1.2メートルで、身長1.5メートルだった彼は脛まで埋まっていた。逆さの状態で3時間近く苦しんだとみられている。

 なんともむごたらしい「過去」の事件だが、有平さんの父・昭平さん(77)と、事件当時に傷害と監禁致死の疑いで逮捕・補導された、有平さんと同じ中学に通う元少年7人との“戦い”は、「現在」に至るまで続いているのである。一体どういうことか。

「有平に何が起きたのか確定させたい」

 当時12歳だった少年を除く6人を対象にした少年審判で、山形家裁は3人を少年院と教護院送致の保護処分に、3人を不処分にしたが、遺族にとって到底納得できる結果ではない。33年に及ぶ苦悩の日々を振り返りながら、昭平さんが語る。

「少年審判が終わった後、95年に僕らは少年7人を相手に損害賠償請求訴訟を起こしました。お金が目的だったわけではありません。証拠を調べてもらい、公開された法廷で有平に何が起きたのか確定させたい。それが一番大きな理由でした」

 昭平さんにとって、切実な事情があったのだ。

「当時の少年法では、僕ら遺族は少年審判に参加することができませんでした。自分の子どもが亡くなった事件なのに、どのような証拠が出され、誰が何を話しているのか、十分に知ることができなかったんです。だから、僕はその後の民事裁判には必ず出るようにしていました。民事の法廷に出ることは、何が起きたかを知るための数少ない方法だったんです」(同)

次ページ:「まあ、払いたくはないですよね」

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。