同性愛者からの相談に「公表する必要は、ありませんよ」…美輪明宏さんの“身震いするような正論” 「ヨイトマケの唄」で日本中が“凄まじき才能”を目の当たりにした日

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 歌手・俳優の美輪明宏さんが亡くなった(享年91)。はやくから同性愛者であることを公表。2012年、77歳になってから4年連続で紅白歌合戦に出場。《ヨイトマケの唄》などをド迫力で絶唱し、日本中の度肝を抜いた。そんな美輪さんの、いまだ知られざる秘話を掘り下げてみたい。(全2回の第1回)

メケメケ歌手として

 美輪さんは、当初、銀座のシャンソン・カフェ「銀巴里」のドア・ボーイだった。当時の本名は「丸山臣吾」。

〈三年前、西銀座のキャバレー『銀巴里』の裏口に、丸山臣吾という少年があらわれた。(略)バーのドア・ボーイをつとめるかたわら、シャンソンを勉強した。〉

――週刊新潮は、1957(昭和32)年という、            かなり早い時期に《扮装に埋れた青春》と題した記事で、彼のことを取りあげている(1957年7月29日号)。たいへんな“美少年”だったが、なかなか芽が出なかった。そこで彼は、

〈「現在はなんでもセックス中心に動く時代でしょ。だから、僕もこれを狙おうと思った。もっとも、男の僕がハダカになっても仕方がないから……女装でゆこう」と思い当たった。〉

 これで評判となり、〈次の手は“女装”を通り越して“性別不能”の仮面をかぶることだった。これは“ゲイボーイ”のバーにつとめることで腕を上げていった。〉と、したたかに計算して名を成していった経緯が紹介されている。そして、日比谷公会堂のリサイタルを満席にし(それでも赤字だったらしいが)、シャンソン《メケ・メケ》を自らの訳詞でうたって大人気となる。

 この曲は、シャルル・アズナブール作詞、ジルベール・ベコー作曲のシャンソン。意味は、フランス語の「それがどうしたっていうの?」を、カリブ海の仏領マルティニークなまりで言ったことばである(日本でいうと、吉幾三の《俺ら東京さ行ぐだ》みたいな曲?)。フランスで何人かの歌手がうたったが、現地ではそれほど有名な曲ではない。だが日本では、美輪さんのヒットを機に、越路吹雪、コシミハル、スネークマン・ショー(加藤和彦)など多くの歌手がカバーする人気曲となった。

 その後、美輪さんは“メケメケ歌手”と呼ばれ、同性愛者であることを公表したが、世間の理解は、まだまだ浅かった。

 そんな美輪さんの評価が、1965(昭和40)年4月5日の朝、一転する。

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