部下400人の名前を丸暗記…警視総監としてオウム捜査を指揮した「井上幸彦さん」 生前に明かしていた組織運営の秘訣

国内 社会

  • ブックマーク

「私は部下の名前を憶えて警視総監になった」

 第80代警視総監(1994年9月~96年12月)を務めた井上幸彦氏(88)が、7月1日に亡くなった。

 山梨県出身。京都大学法学部を卒業後、1962年に警察庁入庁。卒業後の進路を決めるとき、戦前に警察官をしていた父親の姿を思い出し、治安を守る警察の仕事を志したという。井上氏というと、警視総監時代に指揮した「オウム真理教事件」(95年)が広く知られる。

「刑事、公安、生活安全など各部の部長と連日のように、御前会議を開催。報告を受けるだけでなく、自ら主要容疑者の調書を読み込んでいました。教祖の逮捕時には自ら記者会見に出て、オウムが製造したサリンはないことと、麻原彰晃を『首魁』と言った姿を覚えています」(元社会部記者)

 そんな井上氏の警察人生は、警備畑が長かった。

「井上さんはよく『私は部下の名前を憶えて警視総監になったんだ』と言っていました。若くして警視庁第6機動隊長に就いた際、約400人いた隊員の氏名を全部、覚えたそうです。同じ隊長でも警察庁キャリアの隊長です。初対面なのにフルネームで呼ばれて、驚くよりも嬉しかったでしょう。この隊長のためならと、全員の気持ちを一つにさせる。部下の氏名を覚えるのは、他の所属でも同じだったそうです。幹部として全国の警察を回るキャリアとして、組織運営のうまいやり方だと思いました」(井上氏を取材したことのある元週刊誌記者)

 実際、井上氏も6機隊長時代の思い出を、インタビューでこう語っている。

〈「覚えていてくれる、注目されているという思いが、一体感に結び付くんですよ」〉
〈「姓だけでなく、一気に名まで覚えるのがコツ。努力しました」〉
(読売新聞 1994年9月10日付)

 また、警視庁外事二課長に着任して4日目の1973年8月8日。東京都千代田区で金大中氏拉致事件が起こる。実行犯の一人である、現職の韓国KCIA(国家安全企画部、現・国家情報院)諜報員の指紋を、拉致現場となったホテルのエレベーター内から検出するなど、細かい捜査を積み重ねた。

「さらに、これも警視庁時代ですが、警備部長を務めていた1989年2月24日に行われた『大喪の礼』警備も、忘れられません。昭和天皇の柩を乗せた車のご葬列ルートになっていた高速道路の近くで、過激派がしかけた爆弾が爆発したのです」(前出・記者)

次ページ:高速道か、一般道か?

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。