部下400人の名前を丸暗記…警視総監としてオウム捜査を指揮した「井上幸彦さん」 生前に明かしていた組織運営の秘訣
高速道か、一般道か?
「大喪の礼」は東京・新宿御苑で営まれた。164カ国から弔問使節が参列しただけでなく、各国の首脳たちは弔問外交を展開した。
89年1月8日に時代は「平成」になっていたが、代替わりに伴い、反皇室を掲げる過激派のテロが散発していた。警察庁はじめ、各警察本部では皇室関連の施設や神社に対する警備を強化していたが、わけても警視庁は、国内外の要人およそ1万人が参列する「大喪の礼」警備を控え、他県からの応援も含め、最大で3万2000人の警察官を動員し、警備に当たった。
当日は未明から冷たい雨が降っていた。午後1時5分、「大喪の礼」が終了。柩を乗せた車両の葬列は、八王子市にある武蔵陵墓地に向かうことになった。
午後1時45分ごろ、葬列ルートになっていた調布市深大寺南町の中央高速道路下り線沿いにある雑木林で、ドーンという音と共に爆発が起きた。直径約4メートル、深さ3メートルの穴が開き、およそ4トンの土砂が高速道路上に滑り落ちた。幅が約10メートルある下りの2車線を埋めただけでなく、中央分離帯を越え、上り車線にまで土砂が散る。消火器を用いた、時限式爆発物によるテロだった。
「葬列が武蔵陵墓地に移動している間も、経路にある首都高速沿いのビルや、中央高速を見渡せる土手などに機動隊員を配置していました。しかし、都心部のように数メートルおきに沿道に警察官を置くことは難しく、爆発物への警戒も設置しやすい爆発物や発火物への警戒はしていましたが、地中に埋めた時限式は想定外だったそうです」(前出・元社会部記者)
葬列の通過まで25分――散乱した土砂は朝からの雨を吸い込み、重い。きれいに除去するには装備資器材が足りない……。
「葬列のスピードを落とすか、高速を降りて一般道を行くのか、その場で思いつく選択は限られています。しかし、井上さんは葬列のスピードを落とさず、そのまま高速を進むように決断します。土砂の除去には、機動隊員のジュラルミンの盾も使いました。とっさのアイデアだったそうですが、予定通りに葬列は通過しました」(前出・元週刊誌記者)
井上氏の述懐がある。
〈「決断できたのは、自分の部隊を信じ切れたから。でも、薄氷を踏む思いだった」〉(毎日新聞 1994年9月12日付)
酒席では、コップに入れたビールを水代わりに常に置き、日本酒を楽しむ酒豪でもあった井上氏。任期中、常に「都民のための警視庁」を目指した警視総監だった。
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