過去には児童5人が重軽傷を負った事件でも「危険運転と認めず」…ついに法改正「ドリフト走行」が“危険運転”の対象に

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「サーキットの狼」が始まり

「ドリフト」という言葉が広く知られるようになったのは、1975年に「週刊少年ジャンプ」で連載が始まり、スーパーカーブームを巻き起こした漫画「サーキットの狼」の大ヒットがきっかけとされる。公道で自動車の運転テクニックを競っていた“走り屋”の主人公が、カーレースの世界で成功していく物語だ。その主人公の得意技が「慣性ドリフト」と呼ばれた、カーブを曲がる際のコーナリングテクニックだった。

 漫画の影響を受けた世代が免許を持った1987年から1994年にかけて、本田技研工業製のエンジンを積んだレーシングカー「マクラーレン・ホンダ」を操るアイルトン・セナを中心に国内でF1ブームが起きた。警察関係者は「ブームは経済効果を生むなど良い面も多々あったが、若者の無謀な運転を助長した側面も少なからずある」と振り返る。

 また、「週刊ヤングマガジン」で1995年に連載が始まり、コミックス累計発行部数が5600万部を突破した“ドリフト漫画”の「頭文字D」も、ドリフトテクニックの若者人気を確固たるものにさせたとも言われる。

 セナは94年5月にレース中の事故で亡くなったが、「ドリフト族」という単語が「警察白書」に初めて掲載されたのは、奇しくも94年7月発行の平成6年版。若いドライバーたちによる埠頭での横滑り走行が深刻化したことで、固有名詞として白書に記載されることとなったのだ。「暴走族対策の推進」の中で、若者の暴走形態が多角化・小規模化している傾向が、顕著となった当時の状況を説明し、「ドリフト族等の小規模グループによる多様な暴走行為が行われている」と明記された。

 東京湾の大井埠頭や大黒ふ頭(横浜)、大阪湾では大阪南港かもめフェリーターミナルにドリフト族が数100台規模で大挙して終結し、「ギャラリー」と称する野次馬の若者たちを巻き込む事故も相次ぐなど社会問題化した。警察庁の元幹部は、「現在、若者の自動車離れが叫ばれて久しく、20代のマイカー保有率が低迷していることは事実」と前置きした上で、こう続ける。

「セナが絶頂期にあった1990年、鈴鹿サーキット(三重)で行われたF1日本グランプリの観客動員数は36万人を記録した。その後もブームは続き、人気レーサーのミハエル・シューマッハが引退した2006年にはラストランを見ようとファンが鈴鹿に殺到し、再び36万人を動員した後、低迷した。だが、今は人気が復活して今年3月には31万5000人を記録。久しぶりに30万人台に乗せており、レースブームが再燃している」

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