嫌いな芸能人騒動で潮目が変わり…「あの」を理解するのはそもそも無理なのか 多様性のアイコンが抱える“復讐”と“痛み”
善意さえ受け取れない思考回路
高校時代のスーパーのレジのアルバイトの面接で、店長の目を見て話すことができず、どうせ落とされると思っていたら、採用に。普通なら「なんで私を雇ったんですか?」なんて会話の一つも生まれそうな気がするのだが。彼女の思考回路には、雇ってもらえたことに対する感謝も、採用された理由に対する興味もなし。「自分を雇うなんて、よっぽど人手不足なんだな」で終わり、すぐにレジで客と大ゲンカしてクビになったそうな。
……同じような生きづらさを抱える若者は、首がもげるほど頷いて共感できるんだろうが。そうではない、大多数の社会の荒波に揉まれ努力している人間にとって、彼女は職場やコミュニティにいる「理解しづらい、扱いづらい人物」の象徴であるともいえる。彼女の脳内を通して窺い見る思考回路たるや。なるほど、こりゃ話すだけ無駄だぁ、のオンパレード。多様性への理解の前に、話せば理解し合えると思っていたことがまず間違いだということが深く理解できた。
痛みは「お守り」
我々余人には皆目わからない「リストカット」についても紐解きが。経験者であることは本に書かれているものの、リストカット自体の詳細について記述はない。だが、彼女の「痛み」に関する独特な認識に、闡明のとば口が見えた気がしたのである。
いじめ以外にも、様々な事故で大けがをしてきたというあの。その際「痛みが心地よかった」。「信用できた」と書いている。
芸能界に入り、大きな仕事が次々と決まっても、性格上素直に喜べない。嬉しいことの次には必ず嫌なことが起こるという思考がこびりつき、嬉しさを素直に表に出すことができない。幸せを胸に進むより、痛み苦しみの方が安心でき、信頼できる。強くなれる。何か嬉しいことがあったら、フェンスに頭を打ち付けてバランスを取る。痛い間はこの幸せがずっと自分のものでいてくれる気がする。痛みはお守り。傷つけられたら、それよりもっと強い呪いをかけるため、前の傷がわからなくなるくらい上からさらに傷つける。それは刻印で、その傷ごと自分を抱きしめる。
……いやはや。延々とこんな感じの述懐をシャワーのように浴びるうち、リストカットに赴く人の心境が少しだけわかったような気が。だが、彼女は理解なんか求めちゃいない。むしろ逆で、理解も共感も寄り添いも何もかも不要。下手に手を差し伸べてくる相手には、牙を剥き即刻退場を言い渡す。
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