嫌いな芸能人騒動で潮目が変わり…「あの」を理解するのはそもそも無理なのか 多様性のアイコンが抱える“復讐”と“痛み”

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 出演する番組を見たり、楽曲を聴いたことはなくとも、あのという人物が「多様性」のアイコンであるということは世に広く知られている。

 いわゆる「生きづらさ系」の代弁者として、若者を中心に支持されてきた彼女。出始めの頃こそ、独特の物言いやキャラクターを眺めるための見世物扱いであったが。今ではキャラはそのまま、テレビで当たり前のように見かけるようになった。

 だが先日の「嫌いな芸能人鈴木紗理奈発言」騒動で少々潮目が変わってしまった。

著書に綴られた、終わらない「復讐」

 心の内を余すことなく赤裸々に綴った自著「哲学なんていらない哲学」(KADOKAWA)には、いつかこんな日が来ることを予見していたかのような、彼女の危うい独白が連綿と綴られている。

 楽しいこと、嬉しいこと、仕事がうまくいったこと、自身に起こるあらゆるポジティブな出来事を、額面通り受け止めたことがないというあの。それは子供の頃から受け続けていたいじめに起因する。

 かつていじめられっ子だったことはカミングアウト済の彼女だが。芸能界で成功した今も、脳内の9割9分を占めるのは、いじめられた相手への「復讐」だ。本にはこの復讐に関する記述が延々と続く。

 直接罰や鉄槌を下すということではなく、自らが作った音楽や、活躍する姿などに触れたいじめっ子が「あのちゃんと友達だったんだよ」などと周りに嘘の自慢を吹聴する日が来ることを「復讐」だとする彼女。何ともリアルで切ない所懐である。

 だが、いじめられた相手が実際にそうしたかどうか確かめる術もないわけで。「復讐完遂」と思える日は未だ訪れず。その苛立ちが行間にもあふれ出ている。

 彼女の受けたいじめの数々の記述を読めば、こうした思考回路しか持ちえないのも合点がいく。まるで昨日のことのように鮮明に、受けた嗜虐の数々が連綿と。身体的なものから精神的なもの、子供によるものから大人によるものまで、バリエーションに富み、どれも実に凄惨だ。彼女が非常に生きづらい肉体的・身体的要素を持って生まれたことも不運であった。人が何を言っているのか理解できず、授業などは受けずに大声を上げて走り回っていたという。味方の顔をして近づいてくる大人や友達も、そのうち皆「どうしてみんなと一緒にできないの!」と呆れ怒り離れていったという。だが本人にはどうすることもできない。血が噴き出すような人間関係ばかり重ねた結果、人の善意を受け付けられない体質になったのが窺える。人から厚意を示されること自体が、彼女にとっては苦痛なのだ。

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