死後に“極秘結婚”発覚で大騒動 「しゃぶり尽くしたヒモ」と呼ばれた歌手「青江三奈さん」の夫 10年後に語った“出会いから別れ”まで

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「自分の家を忘れるなんて信じられない」と

 さらにレッスンを続け、クラブ歌手として上りつめた青江は、ついに1966年、川内康範作詞「恍惚のブルース」でビクターからメジャーデビューした。すると、いきなりその年の紅白歌合戦に出場。その後、ミリオンセラー「伊勢佐木町ブルース」をはじめ、数々のヒット曲を生み出したのは、ご存じのとおりだ。

 この間も花氏と青江は夫婦同然の生活を送っていたが、81年、2人の関係は破綻し、別の人生を歩み始めた。目黒の通称・青江御殿に花氏が再び戻ったのは2000年のことだった。

「三奈から電話があって、2月3日に19年ぶりに目黒の家に帰った。でも、夜で辺りは暗くて、どの家かわかんなくなっちゃった。やっと辿り着いたら三奈は“自分の家を忘れるなんて信じられない!”と。それが最初の会話だったな。それからまた一緒に暮らし始めました」

 その時、すでに青江は膵臓ガンに冒されていた。

「最後の頃は、さすがに苦しそうだった。膵臓ガンは背中がかなり痛むらしいんです。“隣で寝ようか”とも言ったんだが、“ううん、どうしても辛い時だけ呼ぶから”と、俺は携帯を持たされて別室で寝た。夜中に『ピンクパンサー』の着信音が鳴ると俺はぱっと飛び起きて三奈の背中をさする、そんな生活でした」

「遺言を書こうか?」と言われたが

 そしてついに7月2日、青江は帰らぬ人となるが……問題はそれからだった。そのわずか1カ月半前、抗ガン剤の副作用で彼女の意識が朦朧とする中、花氏が2人の婚姻届を提出していたことが、通夜の席で明らかになったのである。彼が、青江の入院中に彼女の愛車ベントレーを売却していたことも発覚。この事実に驚き、不信を露わにしたのは青江の親族ばかりではなかった。

 メディアも一斉に〈臨終婚〉なる言葉とともに、3億円以上という遺産狙いの結婚ではないのか、青江は本当に自らの意思で婚姻届に判を押したのか、と疑義を呈した。「伊勢佐木町ブルース」を作詞した故・川内康範氏などは〈こんな恥知らずなマネができるのは、花礼二が三奈をしゃぶり尽くしたヒモだったから〉(2000年7月27日号)とまでこき下ろしたのである。

「遺産相続をめぐる、青江の兄姉らとの“骨肉の争い”は、翌年5月、花氏からそれぞれに推定数百万円の現金を支払うことで一応和解した。しかし、その後も、守っていくと約束した青江御殿を売却するなど親族の神経を逆撫でする出来事が続き、両者の関係は断絶したままです」(芸能記者)

 花氏は、その当時を言葉少なに、こう振り返る。

「三奈は、自分が死んでから大騒ぎになるとわかっていて“遺言を書こうか?”と言ったが、俺は“みっともないから”と婚姻届だけ書かせたんです。実際、マスコミから散々叩かれたが、目黒の家だって俺が建てたんです。金を出したのは三奈だが、その三奈を作ったのは俺なんだから。一度別れた時にも、“あなたがここに住みなよ”と彼女は言っていたけど、俺のほうが身を引いたんですよ」

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