「助けてほしいと電話が入った」「しゃぶり尽くしたヒモ」…歌手「青江三奈さん」死去後の“極秘結婚”騒動 遺族と関係者が「夫」を信じなかった理由

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

上腹部に違和感を覚えて

「池袋の夜」や「伊勢佐木町ブルース」など、数々のヒット曲で知られる歌手、ブルース界の巨星とも呼ばれた青江三奈さんの訃報が流れたのは、2000年7月のことだった。

 その1年半前の1999年1月、青江さんはコンサートで美声を披露した少し後に緊急入院。所属事務所は「週刊新潮」に対し、「上腹部に違和感を覚えるようになったのが昨年(1998年)12月。最近、激しい痛みを感じるようになり、4週間の予定で都内の病院に入院しました」(1999年2月18日号)と明かしていた。

 入院後に2月と6月の公演がキャンセルされたことで重病説も囁かれたが、青江さんは酒を好まず、地方公演に野菜や常備薬を持参する健康マニア。それを知るファンが早期の復帰を祈るなか、彼女は闘病生活に入った。そして1年半後の2000年7月2日、59歳で帰らぬ人に。死因は膵臓がんだった。

夫婦同然だった年上の作曲家

 クラブ歌手だった青江さんは1966年に「恍惚のブルース」でデビュー。当時の公称は1945年生まれで、“若くても歌う時の表情は成熟した女性そのもの”とマスコミに騒がれた。1941年生まれとわかったのは死去後のことである。当時を知る故・ジェームズ三木さんの話。

「同じクラブ歌手仲間として、一緒のステージでデュエットを歌ったりしていたんです。彼女は性格がサバサバとしていて、お酒が飲めない。それでいて歌は濃厚で悩ましい。このアンバランスさが実に不思議でした」(2000年7月13日号)

 青江さんはデビュー前から10歳以上年上の男性と交際していた。歌手・青江三奈の生みの親といわれる作曲家、花礼二氏である。17年間にわたって夫婦同然だったが、破局後の彼女は浮いた噂も上がらず、芸能活動に専念した。一説によると、愛する男性の子供が産めなかったことを長く悔やんでいたという。

 ナツメロ歌手として扱われることを嫌った青江さんは、精力的にコンサートを開き、新曲を発表していた。根強い人気に支えられ、新たなヒットを飛ばせる可能性は大いにあったのだ。そのはずが突然の病に倒れ、かつて愛した花氏が見守る中で静かに息を引き取った――という悲しき美談で終わるはずだった。

次ページ:遺族が“寝耳に水”だった「入籍」

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。