「特殊浴場」「愛人バンク」「楼蘭」…御年76歳の現役最年長「風俗ライター」が振り返る半世紀 大蔵官僚の秘密の接待店が“しゃぶしゃぶ”だった理由

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銀行員が毎日“集金”にくるマンションとは

 風俗ライターとして活躍しはじめた伊藤さんが、全国的に有名な、滋賀・雄琴の特殊浴場街に足を踏み入れたのは、1980年のことだった(まだ当時、この浴場は、中東の某国名で呼ばれていた)。

「雄琴の国道161号線沿いに、特殊浴場の第1号店〈花影〉がオープンしたのは、1971(昭和46)年のことです。わたしが取材に訪れた時点では、49軒になっていました。雄琴から東京・吉原に移ってきていたA嬢が、『姉がいまでも雄琴で働いているわ』と、紹介してくれたのです。さっそくその雄琴のお姉さんの住むマンションを訪れると、入居者全員が泡姫でした。当時、疲れを癒やすためのカッピング(吸い玉)マッサージが流行していて、みなさん、仕事のあと、その施術を受けていました。また、そのマンションには、毎日銀行員が集金にやってきて、嬢たちから現金を預かって通帳に書き込んでいたのも、忘れられない光景です」

 そもそも、中東の某国名で呼ばれていた特殊浴場は、本来は健全な浴場だった。

「日本における第1号店は、1951(昭和26)年に東京・東銀座に開業した〈東京温泉〉です。もちろん蒸し風呂と、女性が白衣でお客の体を洗うだけの健全店でした。ところが、なにぶん“密室”だもんですから、手をつかう過剰なサービスをおこなう嬢があらわれました。最初にやったのは、1952年に東京・浅草のひさご通りに開店した〈新世界〉の朱雀さんだといわれています」

 売春防止法の施行により、1958(昭和33)年に赤線が廃止。各地で特殊浴場の開業が相次いだ。個室内は、お客と従業員の“自由恋愛”という建て前で、なにがおこなわれても“治外法権”だった。

 だが、1984(昭和59)年、中東某国の留学生が、自国の名前が付いた特殊浴場の名称に異議をとなえた。これを、当時テレビキャスターだった小池百合子氏がバックアップした。

「抗議があった時点で、マスコミは、いっせいに各社独自の名称で呼び始めました。ロマン風呂、ラブリーバス、ルンルン風呂……しかし最終的に、東京都特殊浴場組合の公募で、2400通の応募から選ばれたのが、現在の名称です。渋谷のサラリーマンの命名だそうです」

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