「足の骨が折れてもいい! 客席から飛び降りてでもキスするの!」 ビートルズ来日60周年…熱狂的ファンを相手にした“前代未聞の警備”を貴重証言で振り返る

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動き始めた警視庁

 第12代警察庁長官の山田英雄氏(94)は当時、警視庁警備課長だった。ビートルズの来日公演は、2年前の昭和39年に完成したばかりの日本武道館が会場に決まり、警視庁が警備を担当することに。4月に入ると、山田氏は現場を視察に出かけた。警視庁警備課長(現在は警備第一課長)は本部の課員に加え、機動隊(当時は全5隊。現在は同10隊)を指揮下に持つ。

 警視庁機動隊は〈戦後の混乱期における集団犯罪、労使紛争等の続発に伴い、これに対処するため機動性をもった集団警備部隊として〉(警視庁HPより)昭和23年5月25日、警視庁予備隊として創設。同32年4月に警視庁機動隊と改称され、第一~第五機動隊が設置された。

 昭和27年5月1日の「血のメーデー事件」(デモ隊1名死亡)、同29年1月2日の「二重橋事件」(皇居一般参賀の二重橋で将棋倒しが発生、17人が死亡*16人とする報道もある)、そして同30年から始まった「砂川闘争」、また同35年の「60年安保闘争」(デモ隊の東大生が圧死)などに出動した機動隊だが、同34年の皇太子殿下(現・上皇陛下)ご成婚パレード、同39年の東京オリンピックなどにも動員されている。

「山田さんは警備実施や警備情報などを担当する部下を連れ、警備計画を立てるために、武道館周辺へ出向いたのです」(前出の元記者)

 視察の途中、武道館の北側、田安門に3人の少女がいた。

〈「君たち、ビートルズが来るけど、公演を見に来るのかい」と尋ねる山田に、少女たちは屈託なく答えた。
「もちろん。足の一本折ってもいいから、客席から飛び降りてでも舞台まで行って、抱きついてキスするんだ」〉(『戦後史開封 スポーツ・文化編』扶桑社文庫)

 音楽会の警備――そう思っていた山田氏だが、これは本腰を入れて取り組まないといけないと思ったという。機動隊を動員するとして、その当時の機動隊は、学生運動や反体制運動団体と対峙する場面が多く、警備実施=暴徒鎮圧に伴う治安警備が主だった。ビートルズ公演は雑踏警備に当たるが、会場の2階から飛び降りてでも……というファンを対象にする警備である。

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