「病状はお互いわかっていた」…抗がん剤治療中に「加藤茶」結婚披露宴の司会 稀代のボードビリアン「小野ヤスシさん」の古風で愛らしい素顔

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古風ながら愛らしい一面も

 1981(昭和56)年、16歳年下のモデルと再婚。一男一女を授かる。目黒区議で芸能リポーターの須藤甚一郎さんは言う。

「その頃の会見は大らかで、夜の登板回数は、って私は聞いたんです。小野さんはニコッと笑って、連投ですよ、そして完投、と答えた。サービス精神が旺盛なのです。しばらくして女房に怒られちゃったと話していた」

 男女にはそれぞれの領分があり、単純に同権を唱えるのはおかしいと古風だった。堅物かというと愛らしさも。

「ゴルフ好きでクラブに凝る人でした。スコアが良くないのをクラブのせいにする。著名なプロゴルファーにもらったのに、と真剣に悩んでいた」(はかまさん)

 鳥取県が生んだ20世紀最大の芸術家、と冗談で自称していたところ、県からイメージアドバイザーを委嘱された。1995(平成7)年の参院選に鳥取選挙区から自民党推薦の無所属で立候補した。

「女優の司葉子さんが高校の先輩で、出馬を請われた。立川談志、加藤茶、ミッキー安川、なべおさみらが続々と応援に現れ、演説に人があふれる。女に手が早く、マージャンは勝ち逃げなどと演説というより毒舌で、爆笑の渦でした」(須藤さん)

 約9000票差で落選。

「郷里にお世話になったからと、落語家を招く催しにずっと力を尽くし、司会にも来てくれた」(山田さん)

旅立つ3カ月前に盟友の結婚を祝う

 交友があった野球解説者の槙原寛己さんも言う。

「面倒見が良くて、どんな場面でも手を抜かない。人の接し方に裏表がなく、だめなことは、面と向かってはっきり言って下さった」

 人柄を慕う仲間は多いが、世渡り上手ではなかった。2004年には、小誌の掲示板欄で近況をこう語っている。

〈芸能人かその辺のアンちゃんか判別不能な人たちとのバラエティ番組とも縁切りです。現在、バンドをやっていた原点に戻り、自由に表現できるライブステージに専念してます〉

 芸能生活50周年を迎える前年の2009(平成21)年に腎盂癌が見つかり、翌年1月に右の腎臓を摘出した。抗がん剤で治療を続けながら、ゴルフコンペの司会を務める。自然に盛り上げる名人芸は、引く手あまただった。2012(平成24)年3月には、加藤茶の結婚披露宴の司会を務めた。

「病状はお互いわかっていた。それでも頼み、引き受けたのは、長年信頼した盟友だからです」(はかまさん)

 同年6月28日、腎盂癌のため、72歳で逝去。エルビス・プレスリーの曲で送って欲しいと家族に託し、旅立った。

デイリー新潮編集部

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