「病状はお互いわかっていた」…抗がん剤治療中に「加藤茶」結婚披露宴の司会 稀代のボードビリアン「小野ヤスシさん」の古風で愛らしい素顔

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これぞプロのタレント

「ザ・ドリフターズ」と「ドンキーカルテット」を経て単独でのタレント活動へ。「スターどっきり(秘)報告」での寝起きシリーズなども印象深い芸能人といえば、2012年6月28日に72歳で死去した小野ヤスシさん。ミュージシャン、司会、リポーター、俳優として、いかなるシチュエーションにも即応する実力は、まさに「これぞプロ」だった。古風で堅物、愛らしさも持ち合わせていたというその素顔を、関係者の証言で振り返る。

(以下、「週刊新潮」2012年7月12日号「墓碑銘」を再編集しました。文中の肩書き等は掲載当時のものです)

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場をなごませ、自然と人を笑わせる

 小野ヤスシさん(本名・小野泰)は音楽だけでなく、リポーターに司会、俳優もそつなくこなした。長年、親しかった放送作家でタレントの、はかま満緒さんは振り返る。

「貴重なボードビリアンでした。コメディアンは基本的に台本があって演じますが、ボードビリアンは、喋り、音楽、踊りだろうが何でも即興でできる。場をつかみながら自分で考え、演じていける特殊な才能の持ち主なのです。トニー谷のようにごく少数しかいません」

「スターどっきり(秘)報告」のリポーターも適任だった。山口百恵の寝起きを拝んだり、ホールに1000人近い観客を入れ、にせのコンサートで和田アキ子に一泡吹かせたりもする。どんな展開にも即応し、スターの率直な反応を伝えられたのは、小野さんゆえだろう。

 1940(昭和15年)、鳥取県境港生まれ。小学校から高校まで同級だった山田義彦さんは述懐する。

「場をなごませ、自然と人を笑わせる。先生にも仕方ないなと見逃してもらうようなところがありました」

 高校ではボート部で活躍。1958(昭和33)年に上京、成城大学に進む。絵に関心があったが、バンドボーイに。初期のザ・ドリフターズは音楽が主体、小野さんは加藤茶と意気投合する。いかりや長介とは、他人の意見を聞かず、くどい面に我慢ができなかった。

 2年ほど活動を共にしたが、1964(昭和39)年に脱退。ドンキーカルテットを結成するとテレビでも時の人になる。

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