笑いと涙が止まらない「プロレスラーの結婚」秘話…藤波辰爾に「いまここでプロポーズしろ!」と迫った“鬼軍曹”の好判断

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本当に強い男の素顔

「ちょっと付き合って下さい」と鶴田に言われ、朝7時に羽田空港に集合すると、何も言わずに神戸に向かった。三宮で昼食を食べ、異人館通りの喫茶店に入る。そこに美しい女性が待っていた。

「おはよう。日本テレビの倉持アナウンサーだよ。喋るのが商売だから、僕のことを色々と教えてくれるはずだよ。では、倉持さん、宜しく」

 鶴田はそう言うと、出て行ってしまった。倉持は思った。実家の広大なブドウ園に、アマレス五輪代表を経て全日本プロレスの若きエース……。誰もがうらやむキャリアを、鶴田は自分自身では決して語りたくないのだ。だから自分に、鶴田という人間を客観的に説明して欲しい。それは、自分が猛練習しているところは決して見せない、鶴田らしい美意識ではなかったか……上記の経緯は倉持アナの著書(『マイクは死んでも離さない』新潮社)に詳しいが、筆者に漏らした倉持アナの感懐が忘れられない。

「本当に強い男の、素顔を垣間見た気がするんですよね……」

 2人は一度、鶴田が振られる形で別れている。しかし、厳しいCA業務が続き、保子夫人が思いだすのは、いつでもニコニコと大らかだった鶴田の姿だったという。連絡を取ると、すぐ朗らかな声で返しの電話がかかって来た。

「僕です(笑)」

 結婚後、鶴田の昔の手帳が出て来たことがあった。見ると、保子夫人の連絡先がぐちゃぐちゃに塗り潰されている。鶴田は真っ赤になりながら、理由を説明した。

「一度振られたから……もう忘れようって、必死だったんだ……」

 ジャンボ鶴田は2000年、フィリピンで手術中に死去。手術室に入る前、夫人に電話で告げた最後の言葉は、「愛してる」の一言だったという。訃報が伝わり数時間後、日本のプロレスマスコミ数社に保子夫人から電話がかかって来た。「死に顔を報じて欲しくない」という懇願だった。

「本当に強い人だった……。最強のイメージのまま、天国に行かせてあげて欲しい……」と繰り返していたという。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に取材&執筆活動へ。現在、約1年ぶりの新著『10.9 プロレスのいちばん熱い日 新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争 30年目の真実』(standards)が重版出来中。

デイリー新潮編集部

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