笑いと涙が止まらない「プロレスラーの結婚」秘話…藤波辰爾に「いまここでプロポーズしろ!」と迫った“鬼軍曹”の好判断

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 プロレス界に朗報が届いた。先月、「情熱大陸」(TBS系)で取り上げられた女子レスラー・イヨ・スカイが、番組内で元新日本プロレスの悪役レスラー、EVIL(現リングネームはNARAKU)と結婚していたことを公表したのだ。情報解禁に先立って金屏風の前で会見した二人。イヨとの結婚の理由を、「敵か味方で言えば、味方にしておいて損はないなと思った」とふてぶてしく語ったEVILだが、「プロポーズの言葉は?」という質問には思わず「……」。素の表情が見えるようで、感じ入った。プロレスラーにとっても結婚は人生の一大事。6月と言えばジューン・ブライドでもあるが、今回はプロレスラーたちの結婚に向けた戦いぶりをリポートしたい。

師匠と弟子のプロポーズ大作戦

「英雄色を好む」という言葉があるが、それを地で行っていたのが日本プロレスの父、力道山だ。数々の有名女優との浮名を本人が公言しているが、そんな力道山が理想の結婚相手を周囲に漏らし始めたのが1960年ごろのことだった。

「恐れ多いが、美智子さまのような方がいらっしゃったらと思うんだ」

 当時の皇太子妃かつ、現上皇后美智子さまのことである。前年の1959年にご成婚パレードがあり、全国に“ミッチー・ブーム”を起こしていた。その後しばらくして力道山は、「遂に見つけたよ。清楚で聡明で、素晴らしい女性だ」と側近に明かした。相手はJAL(日本航空)のキャビンアテンダント(CA)だという。そこからが天下の力道山。八方手を尽くしてそのCAが乗る機を調べて、同乗。海外渡航が自由化されてない時代だが、プロレス会社の社長という立場を大いに利用した。そして搭乗するたびに、力道山が言ったのは、

「やあ! また、お会いしましたね!(笑)」

 1963年、その田中敬子さんと婚姻に至ったのだった。

 飛行機でのエピソードといえば、力道山の弟子・アントニオ猪木が3番目の妻である尚美さんを見初めた時の第一声は面白い。たまたま隣の座席に座った尚美さんの美貌に心奪われ、会話のきっかけを考えた末に、自らこう話しかけた。

「どちらに行かれるんですか?」

 後に筆者の取材に、猪木はこう語ってくれた。

「飛行機だから、みんな行先は一緒なんだけどね(笑)」

 猪木といえば、2番目の妻で女優の倍賞美津子の存在が広く知られる。2人は猪木の兄貴分レスラー・豊登の仲介で顔見知りになっている。猪木が倍賞を口説いた時の作戦は、まさに師匠の力道山を彷彿とさせた。

〈猪木が第二の故郷ブラジルに里帰りすると、友人が言う。
「倍賞千恵子のファンなんだ」
「それなら俺、妹の美津子と知り合いだから、サイン頼んでみるよ」(中略)
 猪木は(中略)こう振り返っている。
「そういう感じで、彼女に取り入ったわけです(笑)。『友達が、あなたの姉のサインを欲しがっている。ですので、お会い出来ませんか?』とね」〉(『アントニオ猪木 闘魂60余年の軌跡』新潮新書)

 初めての2人きりのデートは横浜へのドライブだったが、どうも車が焦げくさい。猪木がサイドブレーキを外すのを忘れ、かけたまま運転していたのだという。

 力道山、猪木の懸命さと比べると、もう一人の巨星のジャイアント馬場は慎重派。前職の巨人軍投手時代、世話になっている後援者宅を訪れたところ、自分の足に合う巨大なスリッパが用意されていた。その家の娘で、後の妻である元子さんとの馴れ初めだが(デイリー新潮2024年8月3日配信)、交際は地道に文通から。実際に結婚したのは1971年9月だったが、照れ屋である馬場がマスコミにそれを公表したのは、11年後の82年7月だった。

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