がんの手術を最初に打ち明けたのは妻ではなく24年続く恋人 「もし命果てたら…」63歳夫が先輩に託した“最後の頼み”

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いつか叶えたい願望

 潤之介さんは、いつか紗和さんと旅行したいという願望をもっていた。紗和さんが離婚したのだから、自分さえがんばれば行けないわけではないとも思った。だが紗和さんはいい返事をしなかった。

「たとえば、こうやって食事をしているところを誰かに見られたとしても、それは知人だとか友だちだとか仕事仲間だとか、いろいろ言い訳ができるでしょ。でも旅先で誰かに会ったらどうなる? 言い逃れできないのよ。私たちは言い逃れできる環境にいたほうがいいって。彼女の言うことはいちいちもっともでした。『それだけ私はあなたとの関係を長く続けたいの。ずっと会い続けたいの』とも言ってくれた。僕は本当に幸せでした」

 家族がいるのにつきあっているのは私の身勝手なのだから、あなたは罪悪感を覚える必要はないと紗和さんは言った。でもそれは違うと彼も言った。お互いの意志だよ、と。紗和さんはニコッと最高の笑顔を見せた。

「こうやって話すと、なんだか紗和が僕にとって“都合のいい女”みたいに聞こえるかもしれないけど、そうではないんです。彼女は自立した自由な女性。ときどき、ひとりで海外に行くこともあったし、ふらっと国内を旅することもあった。連絡はくれたけど、そのたびに僕は軽い嫉妬を覚えていました。彼女は自由で、僕は不自由。でも、家族がいることからくる不自由さは自分が選んだことだから文句は言えない。しかも、そこに大きな幸福もあった。紗和はひとりの自由さを、僕は家族のいる不自由さを愛したのかもしれません」

順調な家庭、静流さんと紗和さんのおかげ

 子どもたちはどんどん大きくなり、いつしか一緒に遊んでくれなくなった。ただ、「嫌われない父親」でいられたのは、静流さんのおかげかもしれない。進路を決めるときも、娘たちはちゃんと親に話してくれた。反対されないのがわかっていたからだろう。

「長女は美容系の専門学校へ行き、次女は大学の理系へと進みました。ふたりとも今も独身ですが、そのあたりも僕は全然気にならない。結婚だけが人生じゃないから」

 長女はひとりで暮らし、次女はすでに就職したが今も自宅でともに住んでいる。

 家庭がうまくいっているのも、静流さんと紗和さんのおかげだと彼は言う。

「ただ、紗和が50歳になるとき、『年をとるのは早いわね』としみじみ言ったんですよ。彼女が離婚したのは40代になってすぐくらいだった。僕は彼女の人生の邪魔をしてきたのではないか、再婚だってできたかもしれないのに僕がいたから彼女は次の人生を踏み出せなかったのではないかとちょっと考え込んでしまいましたね。紗和にそう言ったら『なに言ってるの。あなたがいたから私の40代は充実していたのに』って。結婚だけが幸せというわけではないとわかっているけど、それは結婚している立場の僕が言っていいことではないような気がしたんですよ」

 お互いの意志でつきあっているのはわかっているが、やはり「男の責任」を考えてしまうと彼は言った。責任のとり方は結婚だけではないということもわかっているのだが、「世間一般の常識」を鑑みずにはいられなかった。

がんの告知を最初に伝えた相手は…

 5年ほど前、健康診断でひっかかり、精密検査をしたところ彼にがんが見つかった。がん家系だとわかっていたから会社の健康診断は必ず受けていたのだが、そのときはコロナの影響で健康診断を受け損ない、翌年、受けたらひっかかったのだ。

「うちは父も母もがんで亡くなっているんです。父は50歳になってすぐだった。見つかったときは手遅れという状態で……。だから僕は50歳を超えるのが怖かった。50歳を越えてからは余生みたいな気持ちが少しありました。でも実際にがんを宣告されると、かなり堪えましたね」

 早期発見だったから手術で治ると医師には言われた。だが彼は、それを妻には話せなかった。手術日を決めた日、紗和さんに会った。

「紗和が『どうしたの、具合でも悪い?』と会うなり言ったんです。宣告されてから会うのは初めてだった。毎日会っている妻は気づかず、紗和には気づかれた。そういうものかもしれませんね。手術をすると最初に話したのは紗和になりました」

 帰宅してから妻に話した。妻は、「ひとりで抱えないで」と言った。そこから手術し、回復に至るまで紗和さんには会えなかった。連絡はとっていたが、病院に来てほしい、会いたいと言った彼を「私の出る幕じゃないもの。大丈夫、すぐ会える」と紗和さんは励ました。

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