「借金12億円」に「パンツ事件」…「中村玉緒さん」死去 自ら語っていた夫「勝新太郎」秘話
勝新の飲み方
《そうなると父も母も承諾したみたいなもので、(大映の)永田雅一社長にも言うとかないといかなくなって、2人で東京の大映に報告に行きました。社長は「1年待て」と。で、しばらくは恋愛というか、主人が東京に行ったら私が会いに行って、という生活をして、翌年3月7日に結婚したんです》
1962年のことである。挙式と披露宴は帝国ホテルで執り行われた。そして結婚直後に封切られたのが「座頭市物語」で、言わずと知れた生涯にわたる勝のヒット作となる。この撮影の際、現場に来られなくなった勝の代わりに、ロングショットのシーンで“影武者”を務めたのが俳優の三夏紳(85)だ。これが縁で可愛がられた三夏は、勝の飲みっぷりを「週刊新潮」の2022年12月22日号で語っている。
《勝さんはとにかく「飲め飲め」の一本やり。それも普通の飲み方じゃないんです。ボトルを冷やしておくための、氷を入れるアイスペールがあるでしょ。あれにヘネシーやレミーマルタンをなみなみと注いで、ぐるぐるとみんなで回し飲みするんですよ。その晩は『黒い花びら』で59年に第1回レコード大賞を受賞した大スター、水原弘さんも一緒でした。勝さんは「こいつが俺の代わりをやってくれた“中野の勝新”だよ」。中野に住んでいた私をそんな風に紹介してくれて、「今日はお披露目だから、最初の口はお前がつけていい。グッといけ」と勧めてきます。その頃まだ飲みつけていなかった酒を精一杯飲みました。きつかったですねぇ》
こんな飲み方であるから、年間で1億円が飲み代に消えたなんて話もある。
「影武者」降板
前出の「週刊新潮」2012年6月28日号で、玉緒さんはこう話している。
《京都で主人が飲み歩いたのは祇園と先斗町。一体いくら飲んだのかわかりませんが、10万円くらい持って出かけていた。現金はみんなご祝儀。みんなに配るご祝儀で、飲み食いのお金じゃない。飲み食いはツケが利くのがいけなかった。さすがに1億円ということはないと思いますが、でも、それが全部借金になっています》
そしてこう続けた。
《私は結婚して、女優さんを辞めていました。再開したのは、関西で製作する番組なら家を空けないで済むと思ったからなんですが、だんだんとお仕事は食べるためのものになって、そうして借金を払っていて、まだ支払いは終わっていません》
のちに明石家さんま(70)との名コンビが生まれるのも、この延長だったのかもしれない。そして話は黒澤明監督「影武者」(1979年)の“降板事件”に及ぶ。
《黒澤監督の「影武者」降板は残念でした。主人と黒澤監督は喧嘩したのではないみたいなんです。でも、私も怖くて、よう聞かんわけで、未だに真相は分からないんです。ただ、今でこそ笑い話みたいで、黒澤監督の息子さんとはいろんなところで会って、主人が死んだときのことを「勝っちゃんのときはごめんね。お葬式に行って花をあげるとみんなから注目されるので」。私も黒澤先生が亡くなったときのことを「ごめんなさい。私が(お葬式に)行くとおかしくなるから」。そう言える仲にはなっています》
そして1981年、勝プロダクションは12億円の借金を抱えて倒産した。
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