母の悲惨な再婚を見て育ち「僕の恋愛観はブレブレです」 “天女”、職場恋愛、アブない愛人を渡り歩いて

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【前後編の前編/後編を読む】「上司と寝ちゃった」。妻の告白に嫉妬はない、むしろ感動、惚れ直した…45歳で“0日婚”した男の女性観

 人は人生で3回、本気の恋をするという説がある。なにをもって「本気」とするのかは定かではないが、そう言われると指を折って数えたくなるのが人の性かもしれない。

「人が恋するのは3回どころじゃないと思うけど」

 苦笑しながらそう言ったのは、岸谷匡志さん(55歳・仮名=以下同)だ。周りからは「恋多き男性」と称されているらしいが、本人は「人を好きになることのなにがいけないのか」と思っているようだ。そして今、彼はつくづく「結婚とは何か」と考えている。45歳のときに「デキ婚」したため、ひとり娘はまだ10歳。ようやく人生を真剣に考える時期がきたのか、はたまた考えざるを得なくなったのか。

「たとえ今死んだとしても、楽しかったと思える人生にしたい。僕はずっとそう思いながら生きてきました。そう言う人は多いと思うけど、なかなかそういう人生は送れないものですよね。ただ、僕は10歳で父親を、15歳で母親を失っているんです。家族の縁が薄かったから、早い時期から人生を自分で作っていくしかないと思っていた」

母の再婚で得た安定と孤独

 父が病気で亡くなったあと、母は1年足らずで親戚に紹介された男性と再婚した。その人にもひとり息子がいた。経済と生活、両方の側面からニーズが一致したのだろう。小学生だった匡志さんは、心のどこかで新しい父親に反発しながらも経済的に安定した生活を享受した。1歳違いの弟となった連れ子は、母の手作り料理をむさぼるように食べた。

「安定しているように見えたけど、それは母の我慢の上に成り立っていたようです。同じ立場での再婚なのに、女性が我慢するしかない生活だったんでしょう。稼ぐほうが偉いという価値観が強かったんだと思います。中学生のころ、母には何度か『おかあさんと一緒に家を出る?』『また貧乏になったらつらいよね』と言われたことがあります。嫌なら別れちゃえばいいよとあっさり言った記憶もある。でも母は世間体や僕のことを気にしたんでしょう。ひとりでこの世とおさらばする道を選んだ。今となってはかわいそうだったなと思うけど、無責任でもありますよね」

 母の再婚相手である養父は、母亡き後、目に見えて匡志さんを冷たくあしらった。彼にとっては「勝手にいなくなった妻の遺した子を、どうして自分がめんどう見なければいけないのか」と思っただろう。たった4年の結婚だったのだから。

「あとで知ったのですが、母にその男性を紹介した親戚も、他の親戚から責められたようです。いい人だと思って紹介したんでしょうけど、合わなかった。母は最初から合わないとわかっていたはず。でも生活のためにその道を選んでしまった。思い出したくもない過去だから、ずっと封印してきたんですが、大人になってからはたびたび母や養父のことを考えるようになりました」

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