早くも阿部監督“復帰”を望む声が高まるも…古き良き野球人による愛のムチが“野球離れ”を加速させている現実を見よ
それでも「古き良き野球人」を支持した球団
2012年の日本スポーツ界の空気はそうだった。世間ではセクハラ、パワハラへの意識改革が進み、上司の洒落が洒落で通じない新たな常識の共有が進んだ。しかし、スポーツ界は勝つためなら体罰も、厳しい指導も当たり前という根強い思い込みから脱却できず、体質改善は進まなかった。
一変するのは2018年に起こった一連のスポーツ・パワハラ騒動からだ。もはやスポーツ界でも、パワハラもセクハラも許されない。勝つためにという大義名分で体罰や暴力を振るうのはもってのほか、監督・コーチが上から目線で選手を支配的に指導する体質も許されないと、認識が大きく改められた。
阿部慎之助監督が就任したのは、すでにスポーツ界の常識も改められた後(2023年)である。私はせめて、こうした風潮を理解し、新たな指導意識で取り組むといった明確なメッセージがほしいと感じたが、阿部慎之助は阿部慎之助のままで変わる意識はあまり感じられなかった。そして球団は、古き良き野球人・阿部慎之助を肯定的に支援し続けた。
つまるところ、巨人は「勝つこと」「人気を維持すること」、その二つの命題に執着し続けていると感じられる。勝利を超える価値観創造への意欲を見せてくれない。そのことへの失望は大きい。
野球界、野球ファンはいま野球が深刻な“野球離れ”の潮流の中にあることをどれだけ認識しているだろうか?
辞任の翌日27日には、〈阿部前監督の監督復帰を求めるオンライン署名運動〉に10万通を超える署名が集まったと報じられた。それはもちろん、10万人を超える人たちの熱心な気持ちと受け止めるべきだろう。だが私が指摘したいのは、その10万人と、それ以外の人々の「温度差」が大きくなっている現実だ。昔だって日本には「野球に興味はない」人たちは一定数いただろう。だが、「野球なんて嫌いだ」と公言する人は少なかったし、それが憚られるほど「みんな野球が好き」という雰囲気に包まれていた。けれど今は、「野球に興味がない」「野球が嫌い」という人が以前より明らかに増えた実感がある。それなのに野球ファンも野球界もこの温度差を直視せず、〈ゆでガエル〉の様相を呈している。私はこうした危機感を募られて発信している。
例えば、日本高野連の加盟校は、2015年には4021校だったが、2025年は3768校に減っている。部員数も同じく16万8898人から12万5381人に、25パーセント以上も減少している(日本高野連HPより)。
中学校の野球部は、2010年の8919校が、2025年3993校と半数以下に減っているとのデータもある(Yahoo!ニュース 2025.12.30)。全中学校の中で野球部のある中学は40パーセント以下だ。
小学生の野球少年の減少はもっと深刻だ。家の近くにキャッチボールのできる公園もないのだから、野球少年が生まれる環境は乏しい。それを劇的に改善しようとする動きも野球界にはない。心ある指導者から「監督・コーチの言動や体質が高圧的なことを嫌悪して子どもに野球をやらせてくれない母親が増えている。これを何とかしなければ」という悲鳴のような声を聞かされた。しかし、その叫びは野球界全体の共有課題になっていない。
変えることが難しい上から目線の高圧的指導体質
そのような社会潮流の中で「野球界の盟主」たる読売巨人がどんな方向に舵を切り、どんなメッセージを発信すべきか、おのずと明らかだと思うが、果たして気づいてくれるだろうか。
今回の事件に関するコメントの中に、「家庭の問題で監督をやめるのはおかしい」という指摘も散見される。それは一見正論のようでもあるが、上に記した野球界の深刻な課題を思えば、「家庭内での暴力で監督を辞める」ことが決しておかしくないどころか、核心を衝いている事実に気が付いてもらえたらうれしい。
つまり、自分の子どもに家庭内で暴力をふるう指導者に安心して我が子の指導を任せられるか?
ということだ。従来は、「強くしてくれる指導者なら体罰も許容する」「ウチの子は殴ってもらって構いません」という親も少なからずいた。が、いまはもうそれは社会的に許されない。
スポーツ界で名将と謳われる指導者が家庭内で自分の子に愛のムチを振るっていた事例を私は取材を通して知らされている。上から目線の高圧的指導体質は、よほどの目覚めや自己改革をしなければ簡単に変えることができない。スポーツ界は相当な覚悟を持って指導体質を変える使命に直面している。変えられない指導者は退場やむなし。そのことをしっかりと社会が共有する必要がある。
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