【豊臣兄弟!】豊臣時代の城が“真空パック” 「天空の城」は雲海上に眺めるより歩いたほうがスゴイ

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人気に比例して整備される好循環

 本丸から西の方向の尾根には「花屋敷」という曲輪があって、そこには石塀の跡が残っている。また、南の「南千畳」の方向を眺めると、石垣が段をなし、その塁が複雑に折り曲げられていて、圧巻の光景だ。実際、南千畳のほうに歩いていくと、虎口がかなり厳重で、曲輪と曲輪のあいだに高低差があり、そのうえ通路が折り曲げられているので、進行は頻繁に妨げられる。

 そして、先端部に南千畳という広い曲輪がある。北千畳も同様だが、「千畳」とはいわゆる「千畳敷」のことで、御殿や居館など、それなりに広大な建物があったと考えられる。

 また、非常に凝っていると思うのは、3つの尾根の先端部の曲輪、つまり北千畳と花屋敷と南千畳が、いずれも標高331メートルでそろえられていることだ。いずれの曲輪も、もとの地形を活かしながら非常に計画的に配置されていたことがわかる。さすがは豊臣政権の肝いりで築かれただけのことはある。

 石垣は自然石と粗く割った石を、基本的に横長方向に積んで、築石と築石のあいだに間詰石をはさんだ積み方で、秀長の時代の積み方よりは進化したものだ。文禄(1592~96)のころの石垣の特徴がよく出ている。

 竹田城は交通の便がいいとはいいがたい場所にあるが、訪れる人は多い。そして、人気に比例して整備が進む、というよい循環も生まれている。標高353メートルの高所に築かれながら、ここまでしっかり整備されている城は全国にもあまりない。

 秀長時代の遺構自体は少ないにしても、豊臣兄弟の夢には、山上でどっぷり浸かることができる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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