【豊臣兄弟!】豊臣時代の城が“真空パック” 「天空の城」は雲海上に眺めるより歩いたほうがスゴイ
天守のほか20もの櫓が建ち並んだ
山頂まではいくつかのルートがある。券売所をとおると最初に出迎えるのが、東北方面の尾根に築かれた最北端の曲輪(城内に造成した平坦地のこと)「北千畳」で、その東側の一段下には大手虎口(虎口は城の出入口のこと)がある。まっすぐ進めない食違い虎口で、その一角に大手道を見下ろす見附櫓が建つなど、相当厳重に警備されている。
北千畳から一段登ると「三の丸」、さらに一段登ると「二の丸」で、どの曲輪も完全に石垣造りで、石垣はあちこちに折れがもうけられ、横矢を掛けられる(側面攻撃できる)ようになっている。
二の丸から食違い虎口を通り抜けて一段登ると「本丸」で、平面は東西12.7メートル、南北10.6メートル、高さ10.6メートルの天守台がそびえる。関ヶ原合戦以前の山城の天守台としてはかなり高く、おそらく三重の天守が建っていた。また、本丸の周囲は細長い帯曲輪がめぐり、結局、本丸は二重の総石垣で囲まれている。かなり堅固で、同時に連なりそびえる石垣が壮観だ。
本丸、とくに天守台の上からは、三方向の尾根に展開する曲輪が一望のもとだ。多くの山城は、木々が邪魔して城域全体を見渡すことができない。だが、竹田城は山上の木々がかなり伐採されるなど整備が行き届いているので、城の全体を俯瞰し、その構造を把握することができる。
もちろん、どの城も現役だったころは、山上に樹木は最低限しか生えていなかった。それどころか建物が所狭しと、ひしめくように建っていたのである。竹田城の場合は、天守のほか、櫓だけで20程度も建ち並んでいたと推定されている。
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