「スランプになった夏目漱石」が、人気作家に返り咲くために使った「禁じ手」とは?【教科書には載らない文学史】

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 近代日本が誇る文豪・夏目漱石(1867~1916年)。イギリスに留学し、東京帝国大学の講師も務めたインテリ作家の漱石は、当時の日本で流行していた厭世・煩悶・虚無などの人間の暗部をあるがままに描く自然主義文学に対して批判的な立場を取っていた。

 しかし、帝大講師の職をなげうって執筆した勝負作『虞美人草』が不評と見るや、漱石は一転して、それまで批判していた自然主義文学の手法を取り入れ、評価を回復したという。

 この漱石が使った「禁じ手」は、その後の文学史では忘却されてきたが、文学研究者の木村洋・上智大学教授が、新刊『「蒲団」の時代:自然主義とは何だったのか』(新潮選書)の中で、あらためて指摘している。同書から一部を再編集して紹介します。

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 まず夏目漱石をとりあげたい。先に述べたように、1906年頃に夏目漱石は「草枕」(『新小説』1906年9月)などの作品によって一躍注目を浴びた。漱石は自然主義全盛期の1907年に東京帝国大学の講師をやめて、『東京朝日新聞』の社員になって創作に専念する。

 当初漱石は、自然主義とは立場を異にする「余裕派」「彽徊趣味」という作風を擁護したり、描写方法をめぐって自然主義の作家・田山花袋と論争したりし、反自然主義の立場を打ち出した。

 ただし漱石の歩みは順調ではなかった。『東京朝日新聞』入社後の第一作、『虞美人草』(1907年6月23日~10月29日)が出ると、その古めかしい勧善懲悪式の小説は、「今年の文壇が生んだ駄作の最も大なるもの」などと悪しざまに言われ、漱石の評価を大きく下げた。

 すでに大学講師の職をなげうって退路を断った漱石は、かなり追いつめられたはずだ。じっさい、のちの作風は大がかりな転換に迫られる。このとき推し進められたのが自然主義への接近だった。『虞美人草』の2年後に書かれた『それから』(『東京朝日新聞』1909年6月27日~10月14日)は、その自己革新の報告書という意味合いをもつ。

『それから』には、「凡そ何が気障(きざ)だつて、思はせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障なものはない」とある。これは自然主義の表現を当てこすったものだろうが、その実漱石が自然主義の魅惑から自由だったかは疑わしい。そもそも「父と子」の戦いを真正面からとりあげるこの小説は、島崎藤村『破戒』や正宗白鳥「何処へ」などの「父と子」型の自然主義小説の系譜に連なる。『それから』で代助という主人公が、社会道徳を超える概念としての「自然」に思い至る場面にも目を向けたい。

「彼はしばらくして、/「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云つた。(略)始めから何故自然に抵抗したのかと思つた。彼は雨の中に、百合(ゆり)の中に、再現の昔のなかに、純一無雑(むざつ)に平和な生命を見出した。其生命の裏にも表にも、慾得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する道徳はなかつた」。

 友人の妻を奪いとって父親から勘当されるこの大胆きわまる次男坊は、「道徳」の上位概念たる「自然」に励まされていた。自然主義の歩みを振り返ると、この次男坊の胸のうちは既視感を伴って浮かびあがる。田山花袋「蒲団」の主題は、「道徳」を超えるかたちで現れる「自然の力」にあった(第三章第一節参照)。別のところで、「社会道徳に束縛せられて、充分此の自然力を受けて見ることすら出来ぬやうな弱者怯者偽善者にはなりたくない」とも花袋は記した(小栗風葉『恋ざめ』〔新潮社、1908年〕の序文)。『それから』に出てくる厄介息子は、「道徳」にたいする「自然」の優位を訴えるこの花袋流の思想の忠実な弟子だった。

 漱石の『行人(こうじん)』(『東京朝日新聞』1912年12月6日~1913年11月15日)や『心』(『東京朝日新聞』1914年4月20日~8月11日)で描かれる厭世家や哲学的な懐疑も、明らかに自然主義の作家・国木田独歩の『独歩集』(近事画報社、1905年)などによって深化された厭世家小説の地平のうえにある。漱石『道草』(『東京朝日新聞』1915年6月3日~9月14日)は、花袋『生』や島崎藤村『家』や徳田秋声『黴』と同じく、作者自身の家庭を描く告白小説だった。

 同時代人たちも『それから』以後の漱石の小説を、「自然派ぶり」「自然主義的」などと評した(のちの研究でこうした文脈は忘れられ、漱石と自然主義はたんに対立するものと見なされていく)。漱石の文業は自然主義の魅惑に敗れ去る歩みだと言ってもいい。独歩や花袋や藤村など、明治の「悴」世代の自己主張として現れた自然主義の波は、同じ「悴」たる漱石(1867年生まれ)をも呑み込まずにはいなかった。漱石という非凡な才能は自然主義と和解することで、全面的な開花を見た。そして『それから』や『心』などの小説は、自然主義ふうの精神を、そうと知られないまま今日の読者の胸に注ぎ入れる有力な媒介者となりつづけている。

※本記事は、木村洋『「蒲団」の時代:自然主義とは何だったのか』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

木村洋(きむら・ひろし)
1981年、兵庫県生まれ。高校時代に丸谷才一の本に出会い、文学研究に興味を抱く。2010年、神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程修了。 熊本県立大学文学部准教授などを経て、上智大学文学部教授。博士(文学)。専門は日本近代文学。著書に『文学熱の時代:慷慨から煩悶へ』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『変革する文体:もう一つの明治文学史』(名古屋大学出版会)。2026年に『「蒲団」の時代:自然主義とは何だったのか』(新潮選書)を刊行。

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