トランプ大統領が「私はOKだよ」と発言するも…開幕まで1ヵ月切ったサッカーW杯、渦中の「イラン代表」は“アメリカでの1次リーグ”を戦うことができるか

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サッカーW杯は戦争や政争と無関係に開催されてきた

 サッカーW杯は過去の歴史において、政治的な対立や戦争とは関わりなく実施されてきた。

 イギリス留学経験を持ち、ヨーロッパのサッカー文化に造詣の深い神戸大学大学院・小笠原博毅教授はこう話す。

「私は、本当はイランに出場してもらいたい。出たら大量の亡命者が出るとか、衝突が起こるとか、懸念もあるでしょうけど。かつて冷戦の時代には、世界の政治状況とは関わりなくサッカーの国際大会が行われていた。対立している国もすべて参加していました」

 例えば1986年のメキシコ大会。82年に南大西洋で勃発したフォークランド紛争の当事国アルゼンチンとイングランドが準々決勝で対戦した。まさにサッカーによる代理戦争の様相を呈したこの試合は2対1でアルゼンチンが勝利した。そして、歴史的に永く語られ続ける伝説の試合ともなった。

 それはマラドーナが決めた2つのゴールのためだ。1点目は「神の手」によるゴール。2点目は「5人抜き」のドリブルによるゴール。そういう表現だけで多くの人がそのシーンを思い浮かべるほどの劇的プレーが生まれたのは、両国が戦いから逃げず、真向から立ち向かったからだ。

 政治的に対立し合う国同士が当然のように戦うサッカー界の常識・伝統。それは、W杯が政治的中立を貫き、そして「平和の祭典」という「理想を掲げていないから」でもある。

 私には印象的な経験がある。2002年の日韓共催大会に向けた取材で、日本の大会事務局を訪ねた時のこと。事務局の担当者が私の顔を見るなり、直前に発表した原稿に関して、厳しく釘を刺したのだ。

「小林さん、サッカーのW杯は『平和の祭典』ではありません。FIFAはあくまでW杯を『サッカーの世界一決定戦』と位置づけています。今後は『平和の祭典』と書かないよう、くれぐれもお願いします」

 虚をつかれた思いがした。直前の原稿で確かに『平和の祭典』と形容した。しかし間違いだった。サッカーのW杯は平和の希求のために開催するのではない。ちょっと大胆に言えば、「戦争なんて関係ねえ」「オレたちはサッカーの勝負をするんだ」というサッカー魂。

 それゆえ結果的に戦争当事国同士の試合も行われるという不思議な“快挙”が実現してきたのだ。平和や政治に関与しない姿勢がもたらす幸運な現実。平和を謳わないことで実現する“平和な”対戦。この“皮肉”はとても示唆に富み、興味深い。

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