「山口百恵さんのお尻を触った理由は…」 黒柳徹子が明かす久米宏さんの素顔 『ザ・ベストテン』突然の降板の裏側は?

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本音は明かさず……

 プロデューサーの山田さんも寝耳に水で、すごく怒って、「黒柳さんにも何も言ってないんですか。あいつには青い血が流れてる」って。

 久米さんには直接聞きました。自宅に呼んでゆっくり話したこともあります。「どうして?」と聞くと、「勉強しようと思うんです」って言うんです。私が「勉強なんて番組を辞めなくたってできるじゃない」と言ったら、「旅館の下足番をやりながら勉強するんだ」なんて。私は首をひねって、「でも、下足番をやったからって、何になるの。お客さんからどうしてこんな所で下足番をやってるのって聞かれるの嫌じゃないの?」。

 とにかくヘンだなと思って、「理由は違うことじゃないの?」って聞いたんですけど、頑として本音は明かさなかったですね。

 久米さんは自伝(『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』)でもお書きになっていましたが、よっぽど事実を伝えようかと喉まで出かかったけど、新番組の正式な発表までは厳しい箝口令が敷かれていたので必死にのみ込んだということでした。

「ニュースステーション」(テレ朝系)が始まって、初回の放送を見て、「いいな」と思いました。「ニュース番組が久米さんに合っている。うまいな」って。私には久米さんが「ニュースステーション」でやろうとしていることがすぐ伝わってきたので、いいじゃない、って。

「ニュースステーション」が始まって1年と少したった86年末のことです。ユニセフ親善大使だった私を、募金集めのためにユニセフが行っているクリスマスカードの販売事業を紹介するからと番組が呼んでくださいました。

 もともとわだかまりなんてなかったので、呼んでくださったのは、ありがたかったです。

 久しぶりに再会して、「この番組は久米さんにすごく合っている」と伝えたんです。それが久米さん、すごくうれしかったそうです。「失礼なことして番組を降りちゃったのに、重荷を一つ下ろしたように感じた」って。

 それからは久米さんと一緒に食事をしたり、折を見て会ったりするようになって、政治のこととかいろんなことを話しました。「ザ・ベストテン」のときは一度も食事に行ったことなどなかったのに。でも、「ザ・ベストテン」を辞めた件を話題にしたことはありませんでした。

「引き留めたけど、『帰ります』と……」

 久米さんはクールな印象ですが、実は涙もろくて優しい人なんです。

 私が耳の聞こえないろう者たちの劇団を全面的に支援する「トット基金」をつくったときには、久米さんは理事になってくださいました。久米さんのような方が理事になってくれたのは、何より心強かったです。

 理事会にも毎回来てくださって、ここ何年かは、そこで会うことが多かったですね。昨年の春ぐらいだったかしら、みんなで一緒にお昼ご飯を食べた後、久米さんがさっさと帰り支度をするから、私は「なんで? もう帰るの? もっとゆっくりしたらいいんじゃない」と引き留めました。久米さんは「でも、もう失礼します」と帰ったんです。こんなふうにひょうひょうとして、長居せずに帰ってしまうのは昔からのことなので、別に驚きませんでした。

 結局、それが最後になりましたね。

 いつも理事会に来てくださっていたのに、昨年暮れはいらっしゃらなかったので、「どうしたの?」と手紙を出したんです。返事は来ませんでした。亡くなったことは、ほどなくして知りました。

 久米さんが世を去って4カ月になりますが、本当に残念ですよね。やっぱり生きててくれてないと、何かあっても、もう話ができないじゃないですか。

 あんなに価値観が似た人とは、なかなか出会えるものじゃありませんから。口惜しい!って伝えたいです。

週刊新潮 2026年5月7・14日号掲載

特別読物「黒柳徹子が語る『ザ・ベストテン』と久米宏さんの思い出」より

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