友人宅で「母親って料理を作るんだ」と驚いた…異質な家庭に育った“お坊ちゃん” 地獄に沈んで出会った“年上女性”に救われて

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「お坊ちゃん」としてモテた

 有名私大に受かったときも、父も母も喜んではくれなかった。「あんなところくらい受からないでどうする」という雰囲気だったという。それも彼は右から左へと聞き流した。入学費用だけ出してくれれば文句は言うつもりはなかった。

「学生時代は遊びほうけていました。幸いというかなんというか、なんだかモテたんですよ。誰が言ったか知らないけど、僕がお坊ちゃんだという噂が流れて。おっとりしていて女の子の味方だと思われていた。でも実際には女性の気持ちなんて考えたことがなかったですね。誘惑して焦らして、相手をその気にさせて関係をもって、きちんとつきあわずに逃げる。その繰り返しでした」

 相手を傷つけたかったわけではない。自分など、その子とつきあえるような器ではないというコンプレックスがそうさせたのだと功太さんは言う。

有名企業に就職したが

 就職と同時に家を出てひとり暮らしを始めた。これで親の庇護から抜け出せたと思えた。気にしないようにしていても、育った家庭の特殊さを彼はひしひしと感じていたらしい。

「自分は自分らしく生きていこうと思っていたけど、社会人になったら急に怖くなりました。社会人なのに社会の常識を知らないし、僕は父のように“会社のために”生きていけるタイプではない。一応、それなりに名の通った企業に就職できたんですが、最初に『ここは自分がいるところではないかもしれない』と思った通りで、その違和感は日を追うごとに強くなりました」

 3年間はがんばったが、4年目で力尽きた。半年の休職を経て退職した。すべてを失ったと感じ、久しぶりに実家近くの例のお寺に行ってみたが、住職はすでに亡き人になっていた。

「そのお寺から少し離れたところに教会があるんです。子どもの頃通わせられたところ。懐かしくなって寄ってみたんです。ぼんやり座っていたら、神父さんに『功太くん?』と声をかけられました。神父さんは僕のことを覚えていてくれたんです。両親はそのころも、ときどき教会には行っていたようです。ふたり一緒にではなく、バラバラにですが」

 功太さんは、そういえば両親が一緒に出かけるところを見たことがないと言った。だからといってケンカしているのも見たことがない。お互いに相手にあまり興味がないのかもしれないが、離婚するほどのエネルギーもないのだろう。生活を維持できればいいという意味では意見が一致していたのではないか。良くも悪くも稀有な夫婦だと思うと淡々と語った。

「それからときどき教会へ行きました。神様云々というより神父さんに会って話すのが楽しみだった。その教会で知り合ったのが朋美です」

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