「ろくちゃんはどこも悪くない。感謝する気持ちを忘れてはいけない」 和の鉄人「道場六三郎」が人生の窮地で噛みしめた“父の教え”

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第66回は、伝説の料理人が登場します。道場六三郎さんと村田吉弘さん。果たして、どんな秘話が眠っているのでしょうか?

逆境になっても喜ぶことがいっぱいある

 普段インタビューするのはタレントが中心なので、料理人をインタビューする機会は滅多にないが、この3~4年の間に、2人の名人に話を聞くことができた。

 料理バラエティー番組「料理の鉄人」で、和の鉄人として知られる道場六三郎(95)と、京都「菊乃井」三代目の村田吉弘(74)である。ご両人の話はさすがに示唆に富んでいて、紙幅に限りがある中ではまとめきれるものではないが、テーマを広げず、父親の薫陶に絞ってみたいと思う。

 道場には「その瞬間」というテーマでインタビューした。石川・山中温泉で育った道場の父親は、漆の仕事を営んでいた。姉が3人、その下に男が3人。6人きょうだいの末っ子で三男、そこから名前が「六三郎」になった。

 17歳から魚屋で働き始め、魚をさばいて刺身にしたり、仕出しを作ったりしていたことが料理の道に進む入口になった。やがて東京に出て、60数年前に「赤坂常磐家」で料理長になった時、松下電器のために3000円のお弁当を作ったことがあった。松下幸之助の会長就任、娘婿の松下正治の社長就任のお披露目の席のお弁当を2000個である。当時から道場は料理界の有名人だった。「和の鉄人」として活躍したのは今から30年ほど前。以来、料理界の名人として活躍しながら東京・銀座の「ろくさん亭」の板場に立った。

 話を聞いたのは2022年。料理人の心得について書いた『91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く』(KADOKAWA)を上梓した時だが、意外な苦労話を明かしてくれた。

「ろくさん亭」を始める前に勤めた銀座の割烹「とんぼ」でのこと。料理長だった道場は経営者に「重役にしてやる」と言われ、二つ返事で引き受けた。ところが、店は実は火の車で、道場は仕方なく、当時住んでいた家を担保にして信用金庫から500万円を借金して彼に渡したのだが、不渡りに。60年ほど前の500万円である。ありがちな話とはいえ、道場は一夜にして全財産を失った。

 それでも、拾う神ありで債権者と「新とんぼ」を始めた。大家は「道場さんなら」と保証金はなしにしてくれたそうだ。そんな時に思い出したのが、父親の教えだった。

〈逆境になっても喜ぶことがいっぱいあると言われて育った。「生まれながらにして目や耳が悪い気の毒な人がいるのに、ろくちゃんはどこも悪くない。こんなありがたいことはない。感謝する気持ちを忘れてはいけない」〉

 翌23年には「おふくろメシ」というテーマで、名人の思い出のご飯について聞いた。それは五目飯。東京でいう、ちらし寿司である。お祭りの時に食べたそうで、

〈大きな漆のこね鉢に錦糸卵、紅ショウガ、しめサバやしめアジ、キヌサヤを刻んだもの、いりごま、合わせ酢を混ぜ込んでもみ海苔をパラパラッと。彩り豊か。ごちそうでしたね〉

 この企画はレシピを聞いて筆者らが再現、それを撮影して掲載するのだが、鉄人から「合格点」をもらうことができるか……それこそ、冷や冷やものだった。

 事務所に恐る恐る写真を送ったのだが、一発でOKの返信。ホッ。鉄人のおふくろメシをもちろん食べてみた。見た目と違って実に素朴な味わいだった。

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