他人のサンドウィッチを奪って完食してしまう人にあ然 「苦手な人」「嫌いな人」との付き合い方で大切な「サンプル」という考え方

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 誰とでも仲良くしなさい、と幼稚園や学校では習うものの、それがキレイゴトに過ぎないのは、ある程度の年齢になれば誰でも知っている。どうしても相性というものがあるうえ、意味不明に意地悪な人というのは一定数存在する。

 こうした人間関係の問題は、自分一人では解決できないが、気の持ちようである程度ストレスを軽減することはできる――そう語るのは、作家・社会学者の古市憲寿氏だ。

 テレビなどでは誰に対してもポーカーフェイスで接しているように見える古市氏だが、心の中では当然あれこれ思うところもあるし、嫌いな人、苦手な人も居る。

 ある番組の楽屋では、他人の分までサンドウィッチを食べてしまう政治家を見てあ然としたことも――。当然ながらあまり親しくなりたいタイプとは言えない。

 そういう人についてどう考えて、どう接すればいいか。古市氏流の「社交術」を聞いてみよう(以下、古市氏の新著『コミュ力不要の社交術』より抜粋・再構成しました)。

 ***

嫌いな人はサンプルだと思ってみる

 嫌いな人って、何人くらいいますか?

 僕は……ここで実名を挙げていってもいいのですが、さすがに何の得もないのでやめておきます。あと嫌いだった人のことを、時間を経て好きになることもありますしね。

 それはさておき、僕の場合、嫌いというよりも苦手という人のほうが多いです。そんな時は、相手のことを「サンプル」だと思うようにしています。

 サンプルとは文字通り「見本」や「標本」という意味。要は、その人を研究対象にしてしまうということです。

「世の中にはこんな人もいるんだ」「なぜこの人はこのような行動を取るのだろう」と、とにかく相手を観察・分析する。大事なのは、観察そのものよりも、相手を「サンプル」だと思うことです。つまり「人間扱い」を止(や)めてしまうんです。

 子どもの頃、夏休みの宿題で「アサガオの観察日記」とかありませんでしたか。その時、アサガオが真っ直ぐ伸びようが、右に伸びようが、別にイラッとはしなかったはずです。それは朝顔を「サンプル」だと割り切っているから。

 人間も同じようにサンプルだと思っていいんです。普通には付き合いたくない嫌な人も、「サンプル」だと考えれば興味深く見えてくるものです。

 以前、討論番組である政治家と一緒になりました。その人は控え室で、猛烈な勢いで自分のサンドウィッチを食べていました。「食べるのが速い人なんだな」くらいに思っていたら、自分の皿を食べ尽くすと、今度は何も言わずに僕の前に置かれていたサンドウィッチまで食べ始めたんです。そして、そのテーブルに載っていた複数人向けのサンドウィッチを、次々と完食していきました。

 このサンドウィッチ議員と友達にはなりたくない。だけど「サンプル」としては、こんな面白い人もいない。それからは、次はどんなことをしてくれるのだろうとその人と同席するのが楽しみになりました。

嫌いな人はサンプルだと思ってみる

 嫌いな人って、何人くらいいますか?

 僕は……ここで実名を挙げていってもいいのですが、さすがに何の得もないのでやめておきます。あと嫌いだった人のことを、時間を経て好きになることもありますしね。

 それはさておき、僕の場合、嫌いというよりも苦手という人のほうが多いです。そんな時は、相手のことを「サンプル」だと思うようにしています。

 サンプルとは文字通り「見本」や「標本」という意味。要は、その人を研究対象にしてしまうということです。

「世の中にはこんな人もいるんだ」「なぜこの人はこのような行動を取るのだろう」と、とにかく相手を観察・分析する。大事なのは、観察そのものよりも、相手を「サンプル」だと思うことです。つまり「人間扱い」を止(や)めてしまうんです。

 子どもの頃、夏休みの宿題で「アサガオの観察日記」とかありませんでしたか。その時、アサガオが真っ直ぐ伸びようが、右に伸びようが、別にイラッとはしなかったはずです。それは朝顔を「サンプル」だと割り切っているから。

 人間も同じようにサンプルだと思っていいんです。普通には付き合いたくない嫌な人も、「サンプル」だと考えれば興味深く見えてくるものです。

 以前、討論番組である政治家と一緒になりました。その人は控え室で、猛烈な勢いで自分のサンドウィッチを食べていました。「食べるのが速い人なんだな」くらいに思っていたら、自分の皿を食べ尽くすと、今度は何も言わずに僕の前に置かれていたサンドウィッチまで食べ始めたんです。そして、そのテーブルに載っていた複数人向けのサンドウィッチを、次々と完食していきました。

 このサンドウィッチ議員と友達にはなりたくない。だけど「サンプル」としては、こんな面白い人もいない。それからは、次はどんなことをしてくれるのだろうとその人と同席するのが楽しみになりました。

「嫌い」と「あこがれ」は似ている

 そもそも僕たちはなぜ、誰かを嫌いになったり、苦手になったりするのでしょうか。

 実は誰かに抱く嫌悪感って、自分の中にもある「嫌な部分」の反映ということが多いと思います。

 人は、自分とまるで違う人間に対しては、苦手意識さえ持たない傾向があります。そもそも価値観だったり、大事にするものが違うから、その人の言動が気にならないんですよね。

 あのナチス・ドイツによるユダヤ人迫害も、「自らの中にある否定的側面(=ネガ)」を外部の他者に投影し、それを排除することで秩序の回復を図ろうとしたのではないか、という説があります。

 共通点が多い人には、自分との違いが明確な分だけ、好き嫌いがはっきり分かれます。

 僕のちょっと苦手な人の話です。

 その人は、誰に対しても遠慮なく自分の要望を言うし、「目立ちたい自分」を隠しません。その前のめりの姿勢が苦手だったのですが、考えてみれば、その人のことがちょっとうらやましかったのかも知れません。

 僕も自分の意見をはっきり言うほうですが、思わず我慢をしてしまう時があります。

 もしかしたら「嫌い」という感情は、「うらやましさ」や「憧れ」とも近いのかも知れないですね。

 実際、芸能人や政治家でも、アンチが一番ファンになりやすいと言われます。アンチは、何かあったらバッシングするために、対象者の行動を常に監視することを生業としています。これってもうファンと紙一重のわけです。

 なので、自分をやたら嫌ってくる人のことは「ファン予備軍」かも、くらいに思っておきましょう。

「嫌われたくない」人へ

『嫌われる勇気』という本がヒットするくらい、誰しも人から嫌われたくないものです。でもあなたに嫌いな人がいるように、誰かがあなたを嫌うのも仕方がないと思います。そもそも、他人の気持ちを完全にコントロールするなんて不可能ですからね。

 僕もエゴサーチをすると無数の悪口が見つかります。そして今はまだ悪口を言っていなくても、何か他人のミスを待ち構えている人っていますよね。Xのフォロワー数はファンの数ではなく、向けられている銃口の数、という表現もあるくらいです。

 でも、遠い人の評価なんてどうでもいい、というのが僕の結論です。

 それがどんな立場の人であっても一緒。結局、身近にどれだけ友達や仲間を作れるかが大事なのだと思います。

 あなたから遠い人ほど、すぐに手のひら返しをします。評価をすぐに覆します。なぜならあなたのことをよく知らないから。そんなことに一喜一憂しても仕方ないですよね。

 一方で、身近な人から嫌われたりするのは悲しいもの。でも、これも仕方ないと割り切るしかありません。長い人生の中で、たまたま今はその時期なのかも。

 人は変わります。お互いに変わっていきます。また時期がきたら仲良くなれるかも知れない、くらいに思っておくしかないですよね。

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