【豊臣兄弟!】宮崎あおいが演じる悲劇の戦国女性 「お市の方」に学ぶ危機におけるしたたかな生き方

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落城より前に脱出していた可能性

 江戸時代に成立した軍記物に対象を広げると、信長の事績を記した『総見記』、および『浅井三代記』に、市と三姉妹が小谷城を脱出した際のことが記されている。ともに天正元年8月28日夜、すなわち小谷城が総攻撃を受ける前夜のことだとしているが、それぞれに付き従った人や、彼女たちが預けられた先が異なる。このため、参考程度にしかならない。

 太田浩司氏は、〈浅井家家臣には多くの離反者が出たが、最後まで小谷籠城していた家臣さえも、形勢の逆転を信じていたものは、おそらくいなかったであろう〉としたうえで、〈この状況の中で、市と三姉妹は、ほんとうに落城寸前に小谷城から脱出したのだろうか〉と疑問を呈する。〈落城に至るまでの間に、浅井長政と織田信長の間には様々な交渉があったはずで、その中でも男子はともかく、市と三姉妹はもっと早い段階で、城外に脱出していたことも想定されてよい〉とする(『浅井長政と姉川合戦』淡海文庫)。

「たしかに!」と首肯させられる。太田氏はこんな話を載せる。小谷城の南東にある実宰院は、長政の姉の見久尼が中興した寺として知られ、以下のような寺伝があるという。落城に際して浅井長政は姉の見久尼に三姉妹の養育を依頼し、姉は無事に実宰院で三姉妹を養育した――。

 実際、実宰院にある見久尼の木造は、淀殿が寄進したものだという。また、寺には、初の夫である京極高次が寺の運営に大きく関わり、その住持(住職)について秀吉に報告する必要があったことが、寺に残る記録からわかる。太田氏は、この寺が三姉妹と「ただならぬ関係」にあり、それは〈三姉妹も一時期は身を寄せていたからこそ〉と見る。大いにありそうな話だ。

 そうだとすれば、戦火のなか脱出したのではないのかもしれない。ちなみに、小谷城は落城時も焼けなかったので、炎のなかの脱出は完全な作り話である。

 その後、柴田勝家に再嫁して、悲劇的な最期を遂げる市。浅井長政との結婚も悲劇的ではあったが、あきらめずに夫との関係を保ち、実家の血を残し、その子たちを生かす。戦国女性としてのたくましさのほうが強く感じられる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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