【豊臣兄弟!】宮崎あおいが演じる悲劇の戦国女性 「お市の方」に学ぶ危機におけるしたたかな生き方
つらい状況でしたたかにすごした
いうまでもなく、市は政略結婚によって浅井長政のもとへ嫁いだ。そうやって嫁ぎ先に送られた女性は、2つの家を結びつける結節点の役割を負ったが、状況次第でさまざまに翻弄された。
市が嫁いだのは永禄10年(1567)だとされる(もっと早いという説もある)。織田家と浅井家が同盟を結ぶうえで、接着剤になったわけだが、その場合、嫁いだ女性には、嫁ぎ先で外交工作を行ったり、情報収集したりする、いわば実家代表の外交官のような役割も期待されることが多かった。一方、実家が滅んだり地位が低下したりすれば、離縁されたり、嫁ぎ先での地位が低下したりするリスクを負っていた。
婚家が実家と敵対した市の場合、非常に複雑な境遇に置かれたのはまちがいない。戦国の世における敵対だから、どちらかの家が滅びる可能性が高く(この時点では、挟み撃ちに合った実家が滅亡する可能性のほうが高かっただろう)、そんな悲劇的な状況における小豆袋の逸話は、それが事実であろうとなかろうと、市の心情を物語っているといえよう。
以後、天正元年(1573)9月1日、信長軍に小谷城(滋賀県長浜市)を攻められ、浅井長政が自刃するまでの3年余り、織田家と浅井家の争いは続く。その間、市の心中たるやいかばかりだったかと思うが、少なくともかたちのうえでは浅井家とうまくやり、かなりしたたかにすごしてきたようだ。
したたかに「血」を残していた市
市の生年は天文16年(1547)、または同19年(1550)などといわれる。仮に天文19年の生まれなら、浅井家が織田家に背いたとき、数え21歳だったことになる。市は浅井長政とのあいだに3人の娘をもうけている。長女の茶々、次女の初、三女の江である。そのうち長政が信長を裏切った時点で生まれていたのは、永禄12年(1569)の生まれと考えられる茶々だけだった。残りの2人は、実家が婚家の敵になったのちに生まれているのである。
3人は年齢が2歳ずつ違うと考えられており、そうであれば初は元亀2年(1571)、江は天正元年(1573)の生まれということになる。初に関しては、長政が信長を裏切った時点で市は妊娠していた可能性もあるが、少なくとも江は、両家が敵対してのちに妊娠したことになる。長政は信長に背いても、市を廃除していなかったことがわかる。
それは裏返せば、市のしたたかさを表している。彼女には、織田の血を残す役割を果たすという意識があったはずで、それを見事に成し遂げたのである。ちなみに、茶々はいうまでもなく、のちの秀吉の別妻、淀殿である。京極高次のもとに嫁いだ初には子どもがなかったが、江は家康の嫡男で2代将軍になった秀忠の妻として、3代将軍家光を生んでいる。
さて、いよいよ浅井氏が追い詰められたとき、市と娘たちはどうなったのだろうか。ドラマなどでは、小谷城が落城する際、燃え盛る城を後ろに、3人の娘とともに脱出する市が描かれることが多い。だが、当時の史料は一般に、女性に関する記述は少ない。
長政には『豊臣兄弟!』にも出てくるが、万福丸という嫡男がいた(市の子ではないと考えられている)。こちらについては『信長公記』にこう書かれている。〈浅井長政の十歳になる嫡男がいるのを探し出し、関ガ原というところで磔に掛けた〉(中川太吉訳)。ところが市と娘たちについては、寛永年間(1624~44)に成立した『当代記』に〈浅井備前守妻女は信長妹也、然る間、異儀なく引き取られる(浅井長政の妻は信長の妹で、それゆえに、問題なく引き取られた)〉と書かれているにすぎない。
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